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16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

中日一筋 高木守道氏が死去

2020年01月18日 | プロ野球

中日一筋の守備、打撃の職人、
そして監督としてあの伝説の10.8の指揮官だった高木守道氏が、
急性心不全で亡くなりました。
78才でした。

現在の若い野球ファンには、
高木氏は監督時代(特に2度目の監督時代)の迷采配でネガティブなイメージばかりが前面に出てきてしまうと思いますが、
ワタシなどの年代には高木守道と言えばまさに「職人技」を駆使するいぶし銀の選手というイメージです。

ワタシはそういうタイプの選手が好きなので、
よく現在の西武の辻監督とだぶらせてしまうのですが、
そのほかでは元ヤクルトの宮本などがダブって見える選手でした。

年間130試合の時代にあって、
2274安打を記録して本塁打も236本を記録。
この記録だけ見ると、
”いぶし銀”なんて言葉は申し訳なくなる、
素晴らしいスーパースターですね。

盗塁王3回はいいとして、
ベストナインが7回なのに、
ダイヤモンドグラブは3回というところが意外でした。

「高木守道と言えば守備」
そんなイメージがあるのですが、
よく見るとこの賞、1972年設立なんですね。
納得です。

あの頃「2塁手」と言えば、
まず思い浮かんだのは高木守道と巨人の土井正三の二人でしたね。
土井の方がより「いぶし銀感」「脇役感」に満ちていて、
高木は中日の『まごうことなき中心選手』という感じでした。

そして思い出されるのは、
長嶋の引退試合のエピソード。
すでに優勝を決めていた中日のナインが、
優勝パレードだか何だかの予定と重なったとかで、
”あの”引退試合にほとんど参加しなかったのを高木が憤慨して、
チームの首脳に「ぜひ俺一人でも試合に参加させてくれ」と直談判したとのこと。

長嶋を信奉していた高木ならではのエピソードとして語られていましたが、
そのエピソードを聞いて以来ワタシは、
高木守道という選手に対して親近感を覚えて、
それが後年までずっと続いていました。

いわゆるパフォーマンスのにおいの全くしない、
高木の心からの叫びだったとのことで、
そのエピソードはワタシのプロ野球における「大好きなエピソード」の一つでもあります。

であるからか、
高木が中日の監督を務めていた時は、
どんなに名古屋方面から罵詈雑言が発せられても、
何かワタシは心情的に『高木擁護』のようなココロモチで試合を眺めていた覚えがあります。
確かに監督として有能ではなかったかもしれませんが、
中日一筋『おらがチームの大スター』が監督を務めたことは、
中日にとっては素晴らしい事だったともいえるのではないでしょうかね。(まあ、負けが込むといろいろ言いたくなるのは事実ですが。。。。)

2012年にセ・リーグCSで巨人に思いもよらぬ3連勝をしたときの、
ムフフと言いながらの満面笑みをかみ殺してのインタビューが、
なんだか思い出されます。

『ああ、相変わらず正直な人だ・・・・・』

そんなことを思った覚えもあります。
その後3連敗して、
苦虫をかみつぶしたような顔になってしまいましたが。


いずれにしても、
ひとりの名プレーヤーの逝去は、
その頃のことをたくさん思い出させてくれます。

どうか安らかに。
最後のメディア出演が板ちゃん(板東英二)の番組だったというところにも、
高木守道さんが最後まで「ドラゴンズ一筋」だったこと、
よく表しているようです。

寂しいなあ。。。。
合掌。


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