今朝早々、
悲しいニュースが飛び込んできました。
悲しいニュースが飛び込んできました。
「野茂引退」
そう、メジャー日本人選手の先駆者であり、
熱狂的なNOMOマニアを生んだ剛球投手、
野茂英雄が引退を決意したというのです。
わたしは、
NOMOマニアの一人。
熱狂的な野茂ファンでした。
近い将来、
いつかこの日がやってくるとは思っていましたが、
ついにやってきてしまいました。
感慨深く、
今日発売のスポーツ紙に目を通しています。
わたしが野茂を知ったのは、
社会人野球・都市対抗のとき。
社会人野球・都市対抗のとき。
東京ドームで試合を観戦しながらガイドブックを読み、
「へ~こんなすごい、変わった投手がいるんだ」
と思ったことです。
(目の前の試合では、潮崎(元西武)投手が投げていました)
その後近鉄に入団、
西武ファンとしては強力なライバルでしたが、
痛快なその投球、
清原との息詰まる対戦など、
ワクワクさせてくれる投手の一人でした。
程なく渡米したワタシから遅れること3年、
95年に野茂はNOMOとしてメジャーデビューを果たしました。
LAドジャーズで。
ドジャーズはワタシの地元チーム、
NOMOの登板日にあわせて、
せっせとチケットを買って球場に通いました。
わたしの本当のお気に入りはエンジェルスでしたが、
NOMOの登板のときは別。
何度も何度もその投球で熱狂させてくれました。
初勝利も、初優勝
も・・・・・
しっかりとこの目で見てきました。
そのNOMOも私が帰国した後は、
不遇のときを長く過ごしてきたようです。
晩年は、思い通りにならない球に、
イラつくこともあったでしょう。
でも彼はその思いをグッと飲み込んで、
マウンドでは淡々と、黙々と、
ただひたすらストイックに投げ込んでいたと思います。
その姿にこそ、
彼のプロ魂を感じることが出来ました。
マイナーから始まって独立リーグ、
中南米リーグなど、
投げるところならどこでも行って投げ続けた≪孤高の戦士≫でした。
でも、
最後まで決して
「日本球界への復帰」
を口にしなかったところに、
彼の意地と、日本球界の危うさを感じ取ることも出来ました。
中南米リーグなど、
投げるところならどこでも行って投げ続けた≪孤高の戦士≫でした。
でも、
最後まで決して
「日本球界への復帰」
を口にしなかったところに、
彼の意地と、日本球界の危うさを感じ取ることも出来ました。
さあ野茂よ。
第2の人生では、
どんな野球人生を見せてくれるんだい。
楽しみに待っているよ。
俺にとって、長嶋と並ぶスーパーヒーローよ!
俺にとって、長嶋と並ぶスーパーヒーローよ!
*昨日もショックなニュースがありました。
取手二高のエースで甲子園優勝投手・石田文樹氏がまだ41歳という若さで他界したことです。
その当時PL嫌いだったワタシは、彼の好投でKKのいるPLを取手二が倒したことにいたく感激したものでした。
そのときの思いは、まだ鮮明に私の心に残っています。
その後は大学中退、プロで大成できずとやや不遇な面も多かったように思います。
しかし、胸のすくようなあの速球、
その当時PL嫌いだったワタシは、彼の好投でKKのいるPLを取手二が倒したことにいたく感激したものでした。
そのときの思いは、まだ鮮明に私の心に残っています。
その後は大学中退、プロで大成できずとやや不遇な面も多かったように思います。
しかし、胸のすくようなあの速球、
PLとの決勝で土壇場で同点にされた後、
一度ライトに下がって、その後再度登板したときの笑顔、
そしてkkを迎えたときの気迫の内角攻め、
すべて昨日のように思い起こされます。
一度ライトに下がって、その後再度登板したときの笑顔、
そしてkkを迎えたときの気迫の内角攻め、
すべて昨日のように思い起こされます。
一緒の時代を生きた仲間がこの世を去ってしまう。
こんなにも寂しいことなんですね。
今年は広島商の伝説のエース・佃氏も亡くなり、
悲しい出来事が続きます。