時には目食耳視も悪くない。

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『孤独なことは救われることである。』

2019年12月16日 | 本の林
ある事柄について、主観や個人的感情を交えずに、事実のみを語るのは難しいことでしょうか。
昨今の日本の報道機関による報道内容の選択や、報道する際の視点、意図の不明確な演出などは、そんな取り上げ方をしなくてもいいんじゃないかと疑問を抱かせるような側面があることもしばしばです。

いわゆる、ゴシップ誌と揶揄されるような新聞や雑誌ならばともかく、国の予算を使って国民に伝えるという立場の報道機関までもが、一つの話題についてあたかも視聴側の感情を誘導するような報道をしているのには閉口させられます。
かといって、こうした一意見を政治的な発言だと見なし、やれ右だの左だのと発言者を突っつき回す人たちにもウンザリします。

一人で生きていけるなどとは思いませんが、たまに誰からも干渉されずに生きていきたいと思うことがあります。
レオナルド・ダ・ヴィンチが「孤独であることは救われることである。」という言葉を残した意味が分かるような気がします。

 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

さて、学術研究においては、研究対象に関する信頼のおける遺物の収集や、実験で得られる結果及び数値化されたもの等を基礎にして、理論を展開していきます。
そこには研究者の主観や個人的感情を介入させる余地はありません。
ただ、粛々と事実のみを明らかにしていく地味な作業が研究の本質であり、世紀の大発見などという華々しい出来事が起こるのは、それこそ百年に一度あれば大したものといった世界です。

世間一般の人から見れば全く無意味に思えること、意味不明に思えること、無駄に思えることであるために、誰からも見向きもされずに、理解も評価もされない研究が歴史的に見ても沢山あります。
ノーベル賞を始めとする数々の名誉ある賞を受賞した研究者よりもはるかに多い数の研究者たちがこの世には存在します。
彼らの多くは、世間の注目を浴びないからといって、派手な主張をしたり、勝手な推測で根拠のない結論を出したりはしません。

彼らの目的は人類が文化的に発展するために必要な科学技術の向上や、未だに解明されない自然科学の複雑に絡んだ謎の答えを見出すことです。
しかし、世間では華々しく活躍しているもの、分かりやすく業績を上げているものが評価され、そうでないものは無視されたり、削減される傾向にあります。
一見、意味や価値がないと思われるものは、役立たずだと判断され、疎ましくさえ思われてしまうのが世の常ですが、それでも、地道な研究を続けている人たちが確実にいるという事実があり、それらの研究の蓄積によって現代文明が豊かに発展し続けているということを忘れずにいたいものです。


音楽を研究することについて、あまり意味のないことだと思われる人は多いかもしれません。
ですが、一つの音楽について取り上げるだけでも、その成立に関わる歴史的背景、文化的土壌、宗教や民族の思想など、沢山のことを知ることができます。
全く知らない国の人たちとどう接したら良いかということは、近年、訪れる外国人、移住してくる外国人が増えている日本では、多くの人が抱える問題かと思われます。

言語も生活習慣も異なる者同士が理解し合うには、まずお互いのことを知ることが一番の近道です。
相手のことを知るうちに、今まで見えていなかった自分の一側面に気がつくこともあります。
コミュニケーションツールとしてその国の言葉を学習することだけが、相互理解に必要なことではありません。
とても日本語を流暢に話す外国の人が、日本の文化に理解があるとは限らないのです。
真の国際的相互理解が実現するためには、双方が時間をかけてお互いを理解しようという気持ちと根気よさが必要だと感じます。

そんな国際交流の過程に、音楽も少なからず貢献できていると信じつつ、今日もまたひとり読書に興じたいと思います。
今回の【本の林】では、ラテン・アメリカの音楽文化について紹介している本を取り上げました。
なかなか録音スタイルが定まらず、四苦八苦している動画ですが、よろしければご視聴お願い致します。

【本の林】第二冊《ラテン・アメリカ楽器紀行》山本紀夫 著/写真(2005 山川出版社)


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