男君の策略で、不幸な結婚を経験した中納言家の四の君ですが、当時の婚姻関係というのは現在のように、役所での書類の手続きがあるわけではなく、法律上の拘束力がありません。
一人の女性の家へ男性が通い、女性の両親が二人の関係を認めており、男性の身の回りの世話を引き受けている状態は、結婚していると言えるかもしれませんが、同時に、その男性が他の女性のもとへ通うことも、禁じられてはいませんでした。
《源氏物語》の主人公、光源氏の例はさすがに大袈裟ですが、複数の女性のもとへ通う男性は珍しくありませんでしたし、和泉式部のように、何人もの男性から言い寄られる女性もいたようです。
従って、離婚という概念が、現在よりも曖昧なものだったと考えられます。
男性が女性のもとを訪れなくなり、長い間お互いに連絡を取り合わなくなれば、実質上の離婚ということになると思われます。
今で言う、自然消滅という感じでしょうか。
さて、四の君にとっては不幸なものだった面白の駒との結婚でしたが(詳細は以前の記事を参照)、駒の君にとっては中納言家は自分の身の回りの世話をしてくれる居心地の良い場所だったらしく、結婚当初は足しげく四の君のもとへ通っていました。そのおかげか、早々に子宝にも恵まれます。
しかし、中納言家の方では、もともと別の人物(男君)を婿に迎える心づもりだったこともあり、初めのうちこそは駒の君の面倒を見ていましたが、そのうち家の人は誰も君の相手をせず、放っておかれるようになり、何となくいたたまれなくなって、自然と疎遠になったらしいことが物語から読み取れます。
はっきりとした態度で拒絶を示されないまでも、当人に居場所がないと感じさせたというのは、遠回しに追い出されたも同然ですので、駒の君もしくは君の親族がこの事実を快く思っていなかっただろうことは想像に難くありません。
その気持ちが表されているのが、第14位に選んだ和歌です。
☆第14位☆
今はとて 島こぎはなれ 行く船に
ひれふる袖を 見るぞかなしき
《落窪物語》巻の四より 面白の駒の妹たちの歌
この歌は四の君が筑紫の帥と再婚する際に、前夫の面白の駒の妹たちが恨みの気持ちを込めて、四の君へと詠んで送ってきたものです。
別れ際の曖昧さや、男女の仲が自然と疎遠になることが常であった時代に、わざわざ別れた相手の再婚について、このような恨み言を言ってくるのですから、面白の駒側にとっては、中納言家との絶交が余程悔しいものだったのでしょう。
人間関係の中で、男女の仲というのは家族関係の次にややこしいものだと、個人的な経験から私は感じます。
法律上の手続きによって、結婚や離婚の区切りが明確に付けられる現代ですが、LGBTなどの性(あるいは人格)の多様性や、男も女も働くのが当然という社会においては、家事や育児も従来のやり方では限界があるようですし、家庭の有り方も様々でいいような気がします。
昔のように、結婚と離婚の境界が曖昧である方が都合が良い場合もあるのではないでしょうか。。。
(まあ、そうすると財産が、、、とかいろいろ問題はありますけど。)
一人の女性の家へ男性が通い、女性の両親が二人の関係を認めており、男性の身の回りの世話を引き受けている状態は、結婚していると言えるかもしれませんが、同時に、その男性が他の女性のもとへ通うことも、禁じられてはいませんでした。
《源氏物語》の主人公、光源氏の例はさすがに大袈裟ですが、複数の女性のもとへ通う男性は珍しくありませんでしたし、和泉式部のように、何人もの男性から言い寄られる女性もいたようです。
従って、離婚という概念が、現在よりも曖昧なものだったと考えられます。
男性が女性のもとを訪れなくなり、長い間お互いに連絡を取り合わなくなれば、実質上の離婚ということになると思われます。
今で言う、自然消滅という感じでしょうか。
さて、四の君にとっては不幸なものだった面白の駒との結婚でしたが(詳細は以前の記事を参照)、駒の君にとっては中納言家は自分の身の回りの世話をしてくれる居心地の良い場所だったらしく、結婚当初は足しげく四の君のもとへ通っていました。そのおかげか、早々に子宝にも恵まれます。
しかし、中納言家の方では、もともと別の人物(男君)を婿に迎える心づもりだったこともあり、初めのうちこそは駒の君の面倒を見ていましたが、そのうち家の人は誰も君の相手をせず、放っておかれるようになり、何となくいたたまれなくなって、自然と疎遠になったらしいことが物語から読み取れます。
はっきりとした態度で拒絶を示されないまでも、当人に居場所がないと感じさせたというのは、遠回しに追い出されたも同然ですので、駒の君もしくは君の親族がこの事実を快く思っていなかっただろうことは想像に難くありません。
その気持ちが表されているのが、第14位に選んだ和歌です。
☆第14位☆
今はとて 島こぎはなれ 行く船に
ひれふる袖を 見るぞかなしき
《落窪物語》巻の四より 面白の駒の妹たちの歌
この歌は四の君が筑紫の帥と再婚する際に、前夫の面白の駒の妹たちが恨みの気持ちを込めて、四の君へと詠んで送ってきたものです。
別れ際の曖昧さや、男女の仲が自然と疎遠になることが常であった時代に、わざわざ別れた相手の再婚について、このような恨み言を言ってくるのですから、面白の駒側にとっては、中納言家との絶交が余程悔しいものだったのでしょう。
人間関係の中で、男女の仲というのは家族関係の次にややこしいものだと、個人的な経験から私は感じます。
法律上の手続きによって、結婚や離婚の区切りが明確に付けられる現代ですが、LGBTなどの性(あるいは人格)の多様性や、男も女も働くのが当然という社会においては、家事や育児も従来のやり方では限界があるようですし、家庭の有り方も様々でいいような気がします。
昔のように、結婚と離婚の境界が曖昧である方が都合が良い場合もあるのではないでしょうか。。。
(まあ、そうすると財産が、、、とかいろいろ問題はありますけど。)
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