時には目食耳視も悪くない。

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目の毒は気の毒?

2017年07月07日 | 映画
 イチャイチャしすぎて天帝の怒りを買い、年に一度しか会えなくなった織姫と彦星ですが、あなたの周りにはなんでこの二人が付き合っているのだろうか?と思うカップルはいませんか?

 相手に文句ばっかり言って、しょっちゅう喧嘩ばかりする。
 相手に不満があるのなら別れてしまえばいいと思うのですが、男女関係はとかく、そんなに簡単な話ではないのが世の常です。

 《恋愛社会学のススメ(原題:Alle Anderen)》(2009、ドイツ)に登場するカップルはまさにそんな2人。
 理想ばかり追いかけて、現実から目を逸らし勝ちなプライドの高い男と、キャリアウーマンとしてバリバリ仕事をこなす、おしとやかと言うよりは男勝りで破天荒な女。

 やり手で機知に富んだ彼女に、男はやがて飽きられはしないか危惧を抱いているものの、高いプライドのために言い出せず、おまけに関係のマンネリ化をおそれて、彼女との結婚にも踏み切れずにいます。
 おまけに見栄っ張りなのか、自分の交友関係の微妙な事情に彼女を巻き込むという身勝手さも感じられます。

 彼女は彼女で、彼が男勝りな自分より、女性的な魅力を持った女を結婚相手に求めているかもしれないと不安になり、彼好みの女性になろうと努力するも見事に空回り、かみ合わない二人の仲はあまり上手くいきません。

 観ていて、私は途中で何度も思いました。
 「あんたら別れなよ…」って。
 それこそ、年に一度会うことにすればいいのにと思ったほどですが、この映画には彼らを別れさせる天帝は登場しません。

 グズグズと煮え切らないくせに、彼女を束縛する男にはイライラしましたし、そんな彼に合わせようと四苦八苦する女は痛々しく思えました。
 経験豊富な女性の皆さんは、多かれ少なかれ身に覚えのある経験かもしれません。

 そもそも、恋愛映画が得意ではない私、途中で観るのを止めようと何度も思いましたが、ドイツ語のヒアリングも兼ねて鑑賞しているので、我慢して最後まで観ました。

 まあ、この映画の言いたいことは、ラブラブなだけが恋愛じゃないんだぞってことだと思います。
 結婚がゴールではないのと同じで。

 恋愛は特殊な人間関係です。ある特定の人間と「恋愛」という関係を持続できるか否かということです。
 中には、相手を特定しない人もいるので、とんでもないトラブルに発展したりもしますが。

 結婚ともなると、二人の関係は半永続的なものになるわけで、その終わりの見えない関係に安堵を覚えるか、恐怖を覚えるかはそれこそ人によると思います。
 つまり、結婚(という人間関係)に向いている人と、向いてない人がいて当然だと思うのです。
 大袈裟に言えば、結婚するかしないかというのは、ある程度の制約はありつつも安全な檻の中で暮らすか、まったく自由ではあるけれど危険の多い野生の自然界で生きるかという選択をするようなものです。

 結婚は決してゴールではなく、通過点です。
 通り方によっては、その後の人生が思いもよらない辛いものになる可能性もあります。

 そもそも、結婚はあくまでも社会的手続きにすぎないのに、それを巷では人間の恋愛感情と同一視するような傾向があるのが、少し不思議な感じがします。
 もちろん、お互いに好き合って結婚するのは、何も問題がありませんが、「長く付き合っているから」とか「しなきゃいけないから」という理由で結婚するのはおかしいと思います。

 年齢的に、世間的に、体裁として結婚しないといけないと考えるなら、それは愛とは別問題です。
 (世間には、いろんな事情で結婚せざるを得ないカップルもいるのでしょうが…)

 愛の行き着く先が結婚とは限りませんし、愛の証明としての結婚にも少し疑問を感じます。

 現実として、二人の間に子供がいるのに籍を入れていないカップルもいますし、結婚していても気持ちが冷めて、お互いの利害関係だけで結婚生活を続けているなんて話もよく聞きます。
 さすがに、年に一度しか会わないカップルはいないでしょうけど。

 いずれにしろ、「結婚=勝ち組」なんてステレオタイプの考えは捨て去らないと、自分の人生にとっての本当の幸せを見失ってしまうかもしれません。
 もちろん、「わたしの夢はお嫁さん♪」という方なら、それは本当に幸せな話ですね。

 それにしても、街中で人目も気にせずベタベタしているカップルを見ると、なんとなく織姫と彦星の仲を裂いた天帝の気持ちが分かるような気がします。
 とかく、イチャついているカップルは目の毒ですが、それを見せつけられている側の気の毒さも考えて欲しいものです。






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