時には目食耳視も悪くない。

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見るに耐えない大切なもの。

2017年12月08日 | 映画
 ドキュメンタリータッチの戦争映画と愛憎剝き出しでドロドロの(いわゆる濃い)家族や恋愛ものの映画が苦手です。

 コメディータッチや、子供向けの映画は好きですが、宮崎駿監督の作品は、過度に感情を揺さぶられる精神的なエグさが私にはキツいので、あまり見たくないです。
 もちろん、日本を代表する文化的作品ですし、その素晴らしさは十分に分かっています。

 でも、私は感化されやすいのか、映像が訴えかけるものに心が過剰にかき乱される類の映画は、途中で観るのが耐えられなくなって止めてしまうこともしばしばです。
 なので、映画館では観ないことにしています。他の人に迷惑ですからね。

 同じ理由で、カクレクマノミを一躍人気者にした《ファインディング・ニモ(原題:Finding Nemo)》(2003、アメリカ)を私は好きになれません。
 困難に立ち向かう感動的なお話だというのは分かるのですが、如何せん設定が過酷過ぎてつらい気持ちから抜け出せません。

 映画に何を求め、何を見出すのかというのは、観る人によって違いますが、私は主に「気楽」で「前向き」なものや、「希望」が持てるものを求めます。
 (語学の勉強のために観る場合は、ジャンルにこだわらずに観ますけどね。)

 同情の涙を誘うものや、激しい感情のぶつかり合い、リアルな悪意や暴力、現実の厳しさなどを映画として鑑賞するのが苦手です。

 そんな私が好きな子供向け映画は《ティンカー・ベル(原題:Tinker Bell)》(2008、アメリカ)シリーズです。

 いわゆる、「妖精さん」たちのお話です。
 この世界では、心に深手を負いながらもなお、険しい道を行かなければいけないわけでもなく、憂うつになるような悪意を浴びることもありません。
 ただただ、気楽で温かい、夢の世界です。

 シリーズ6作の中で、一番好きなのは《ティンカー・ベルと輝く羽の秘密(原題:Secret of the Wings)》(2012、アメリカ)です。
 (冬の森の長、ミロリ様の声を、イギリスの名優ティモシー・ダルトンさんが担当なさっていて素敵です。)


 さて、「人は現実にはないもの」をフィクションの中に見ているようです。

 だいの大人が泣かずにはいられない悲しみや、暴力、悪意、越えられない障害などは、残念ながら現実の中に容易に見ることができます。

 本当に単純な、何でもないことに思われる「思いやり」や「相手を理解して受け入れること」が、いかに現実世界では軽視されているかが身につまされます。
 少なくとも、私が見つめている現実世界の話ですが。

 他の場所では、もっと善意に満ち満ちて、平和で幸せな現実があるのかもしれません。

 反対に、差別や偏見、迫害などで、私が直面しているよりもはるかに過酷な現実を生きている人もいるでしょう。
 そんな現実を見ると、誰もがみな幸せで、争いのない平和な世界なんて、夢のまた夢だと思い知らされます。

 だからこそ余計に、エンターテイメントでは「希望」や「明るさ」を求めてしまうのだと思います。

 以前、《戦場のピアニスト(原題:The Pianist)》(2002、仏・独・波・英)が日本でも注目を浴び、素晴らしい作品だと話題になっていた時、ある知人がこの作品にはあまり興味を持てない様子だったので、理由を聞くと、「なんで映画を観て、わざわざ憂鬱な気分にならなければならないの?」と言われました。

 確かに、いくら感動的な内容でも、人間が大量に死亡する戦争を描いた映画を、楽しみに観る人はいませんよね。
 しかも、実話をもとにしているので、よりリアルに過酷さが伝わってきて、鑑賞後は楽しかったというよりは、やはり憂鬱にならざるを得ません。

 ドキュメンタリー映画の重要性はよく分かります。
 世界には毎日のように空から爆弾が降ってきたり、幼い子供が武器を手に戦闘をしていたり、あるいは、育児放棄をする親がいたり、路上で凍死するホームレスがいたり、謂れのない差別をされたり、他にもまだ数えきれない悲惨な現実が沢山あります。
 (比較的平和な日本でさえも…)

 それらを記録として残し、繰り返されてはいけないことだと後世の人々に訴えかける使命が、現在を生きる人間にはあるのだと思います。
 とは思いつつ、条件反射的にそれらから足を遠ざける自分がいることも確かですが。

 目を背けてはいけないことが、見るに耐えないものだなんて、本当に皮肉な世の中です。


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