好きな文学作品に、《ジェーン・エア(原題:Jane Eyre)》シャーロット・ブロンテ著(イギリス、1847)という物語があります。
作者のシャーロット・ブロンテCharlotte Bronte(1816-1855)さんは、イギリス人で当時では珍しい女流作家です。
二人の姉と一人の弟、二人の妹がいるのですが、二人の妹さん(エミリー、アン)たちも作家として活躍し、文学界ではこの三人だけを特に「ブロンテ姉妹」と呼んだりもします。
小説《ジェーン・エア》が発表された当初、この作品は良家の子女が読むに相応しくない、教育上よろしくないという非難を浴びました。
(シャーロットさんはこの作品を本名ではなく、ペンネームで発表しました。現在では普通のことですが…)
小説の主人公ジェーン・エアは、自分自身の考えを持った女性で、目上の男性(身分が自分より高い)に対しても対等に意見をし、自分が正しいと思った行動をとります。
現代ならば、ごく普通の女性ですよね。逆に、自己主張のできない女性は現代社会では居場所がないかもしれません。
しかし、100年以上前のイギリス、特に上流階級では、女性から発言することでさえとんでもないことだったようです。
この作品は、とても有名ですし、今さらネタバレも何もないかもしれませんが、だいたいのあらすじをご紹介します。
主人公ジェーン・エアは、幼くして両親をなくし引き取られた伯父夫婦のもとで幼少期を過ごします。
優しい伯父の死後、ジェーンを気に入らなかった伯母によって、規則の厳しい寄宿学校に入れられ、そこで教鞭をとるまでに成長します。
その後、貴族ロチェスター家の養女アデーレの家庭教師として、ソーンフィールド邸にやって来ます。
そこで、当主エドワード・ロチェスターに出会い、二人は恋に落ち、結婚かと思いきや、エドワードには屋敷の屋根裏部屋に監禁していた気の狂った妻がいたのです。
あわや重婚罪の片棒を担がされる寸前だったジェーンは、失意のうちに屋敷を飛び出し、無一文で行き倒れた先がたまたま遠戚関係にある家庭だと分かり(都合がいいね!)、そこで過ごすことになります。
そして、天涯孤独だと思っていた彼女には実は裕福な叔父がいて(都合がいいね!)、彼の遺した資産を相続してお金持ちになったり、ジェーンの勤勉さに惚れた従兄に求婚されたりしているうちに、エドワードが恋しくなり、ソーンフィールドに戻ってみれば、屋敷は火事で焼け落ちていて、気が狂った妻は焼死(都合がいいね!)しています。
エドワードは大怪我をして、失明状態(天罰です)でしたが、ジェーンは嬉々として彼と再会し、二人はめでたく結婚しましたとさ(子宝にも恵まれます)。
なんとも、波瀾万丈というか、人生ゲームかとツッコミを入れたくなる話の筋です。
長編小説なので、もちろん、間にいろいろエピソードがあります。
中でも、ジェーンを嫌っていた伯母を看取る場面では、人間関係の難しさというか、やるせなさを感じ、単純な恋物語に徹していない、作者の冷静さ(冷めた側面)を見ることができます。
この作品は、「ジェーン」という一人の女性が体験した様々なもの、そして、それらを彼女がどう生き抜いたかを強く物語っており、こうした芯のある(頑固な?)女性像は、典型的なイギリス女性の始祖であるかのように思えます。
何種類か日本語訳がありますので、読み比べるのも面白いかもしれません。
それにしても、女の子教育に悪影響を及ぼす作品って、なんだかジェーンが良くないみたいに言われるけれど、どう考えても妻がいることを隠してジェーンと結婚しようとしたエドワードの方が悪いじゃありませんか(笑)
そもそも、こういう内容の作品を書くこと自体がけしからん!ということなのでしょうね。
女というものは、物も言わず、ただ部屋の壁を飾る花であれという、当時の価値観の現れなのでしょうか。
ともあれ、数々の困難を乗り越えて、二人が結ばれるという話は恋愛では王道です。
本国イギリスでは、この作品のファンがとても多く、何度も映像化されていて、どのバージョンのエドワードが一番魅力的かなんて議論もあるようです。
私はダントツ、1983年にBBCが制作したテレビドラマ版のエドワード(ティモシー・ダルトンさん)が好きです。
野生動物のようなワイルドさです。キスっていうか、喰われてねーか?とラブシーンなのにハラハラします。
(ガゼルにかぶりつく百獣の王って感じ…)
カップルのバランスが良いのは、2011年の映画のミア・ワシコウスカさんとマイケル・ファスベンダーさんの組み合わせでしょうか。
ただ、マイケルさんはエドワードというにはイケメンすぎですし、身のこなしが洗練されているので朴訥さという点ではティモシーさんには及ばないかと勝手に思っています。
(マイケルさんのファンの方には申し訳ないですが、決してディスっているわけではありません!)
主人公が二人とも美男美女ではないという設定も、この物語の魅力の一つだと思います。
日本でも、舞台作品として上演されることがあります。(お芝居はあまり観に行かないので詳しくは知りませんが…)
今後も素敵な役者さんたちによって、永く演じ続けられていって欲しい恋物語です。
作者のシャーロット・ブロンテCharlotte Bronte(1816-1855)さんは、イギリス人で当時では珍しい女流作家です。
二人の姉と一人の弟、二人の妹がいるのですが、二人の妹さん(エミリー、アン)たちも作家として活躍し、文学界ではこの三人だけを特に「ブロンテ姉妹」と呼んだりもします。
小説《ジェーン・エア》が発表された当初、この作品は良家の子女が読むに相応しくない、教育上よろしくないという非難を浴びました。
(シャーロットさんはこの作品を本名ではなく、ペンネームで発表しました。現在では普通のことですが…)
小説の主人公ジェーン・エアは、自分自身の考えを持った女性で、目上の男性(身分が自分より高い)に対しても対等に意見をし、自分が正しいと思った行動をとります。
現代ならば、ごく普通の女性ですよね。逆に、自己主張のできない女性は現代社会では居場所がないかもしれません。
しかし、100年以上前のイギリス、特に上流階級では、女性から発言することでさえとんでもないことだったようです。
この作品は、とても有名ですし、今さらネタバレも何もないかもしれませんが、だいたいのあらすじをご紹介します。
主人公ジェーン・エアは、幼くして両親をなくし引き取られた伯父夫婦のもとで幼少期を過ごします。
優しい伯父の死後、ジェーンを気に入らなかった伯母によって、規則の厳しい寄宿学校に入れられ、そこで教鞭をとるまでに成長します。
その後、貴族ロチェスター家の養女アデーレの家庭教師として、ソーンフィールド邸にやって来ます。
そこで、当主エドワード・ロチェスターに出会い、二人は恋に落ち、結婚かと思いきや、エドワードには屋敷の屋根裏部屋に監禁していた気の狂った妻がいたのです。
あわや重婚罪の片棒を担がされる寸前だったジェーンは、失意のうちに屋敷を飛び出し、無一文で行き倒れた先がたまたま遠戚関係にある家庭だと分かり(都合がいいね!)、そこで過ごすことになります。
そして、天涯孤独だと思っていた彼女には実は裕福な叔父がいて(都合がいいね!)、彼の遺した資産を相続してお金持ちになったり、ジェーンの勤勉さに惚れた従兄に求婚されたりしているうちに、エドワードが恋しくなり、ソーンフィールドに戻ってみれば、屋敷は火事で焼け落ちていて、気が狂った妻は焼死(都合がいいね!)しています。
エドワードは大怪我をして、失明状態(天罰です)でしたが、ジェーンは嬉々として彼と再会し、二人はめでたく結婚しましたとさ(子宝にも恵まれます)。
なんとも、波瀾万丈というか、人生ゲームかとツッコミを入れたくなる話の筋です。
長編小説なので、もちろん、間にいろいろエピソードがあります。
中でも、ジェーンを嫌っていた伯母を看取る場面では、人間関係の難しさというか、やるせなさを感じ、単純な恋物語に徹していない、作者の冷静さ(冷めた側面)を見ることができます。
この作品は、「ジェーン」という一人の女性が体験した様々なもの、そして、それらを彼女がどう生き抜いたかを強く物語っており、こうした芯のある(頑固な?)女性像は、典型的なイギリス女性の始祖であるかのように思えます。
何種類か日本語訳がありますので、読み比べるのも面白いかもしれません。
それにしても、女の子教育に悪影響を及ぼす作品って、なんだかジェーンが良くないみたいに言われるけれど、どう考えても妻がいることを隠してジェーンと結婚しようとしたエドワードの方が悪いじゃありませんか(笑)
そもそも、こういう内容の作品を書くこと自体がけしからん!ということなのでしょうね。
女というものは、物も言わず、ただ部屋の壁を飾る花であれという、当時の価値観の現れなのでしょうか。
ともあれ、数々の困難を乗り越えて、二人が結ばれるという話は恋愛では王道です。
本国イギリスでは、この作品のファンがとても多く、何度も映像化されていて、どのバージョンのエドワードが一番魅力的かなんて議論もあるようです。
私はダントツ、1983年にBBCが制作したテレビドラマ版のエドワード(ティモシー・ダルトンさん)が好きです。
野生動物のようなワイルドさです。キスっていうか、喰われてねーか?とラブシーンなのにハラハラします。
(ガゼルにかぶりつく百獣の王って感じ…)
カップルのバランスが良いのは、2011年の映画のミア・ワシコウスカさんとマイケル・ファスベンダーさんの組み合わせでしょうか。
ただ、マイケルさんはエドワードというにはイケメンすぎですし、身のこなしが洗練されているので朴訥さという点ではティモシーさんには及ばないかと勝手に思っています。
(マイケルさんのファンの方には申し訳ないですが、決してディスっているわけではありません!)
主人公が二人とも美男美女ではないという設定も、この物語の魅力の一つだと思います。
日本でも、舞台作品として上演されることがあります。(お芝居はあまり観に行かないので詳しくは知りませんが…)
今後も素敵な役者さんたちによって、永く演じ続けられていって欲しい恋物語です。
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