時には目食耳視も悪くない。

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街がランナーで埋まる時。

2018年04月08日 | ひとりごと
 茨城県土浦市は人口が13万人くらいで、県内では何番目で、あーだこーだと家族が話していたが、数字に弱い私にはイマイチぴんとこない。

 私が住んでいる所は鉄道の駅からけっこう離れていて、住宅よりも畑や雑木林が多い。

 私が小学生の時は、タバコの葉や落花生、サツマイモに枝豆、牛の餌用のトウモロコシ、そば畑や麦畑、そして梨畑といろんな畑があったが、最近は農家も高齢化と後継者不足で、畑の数を減らしてしまったり、止めてしまったり。

 今では使われなくなった畑一面に太陽光発電のパネルが広がっている。
 また、私が保育園に通っていた道の途中で、リスを見ることができた林も、今は木が切りはらわれて整地され、発電パネルが設置されるのを待っている。

 ご近所で子供の姿を見ることはなく、住民のほとんどはおじいちゃんやおばあちゃん。
 私や兄が通った小学校も、生徒の数が減って廃校になるかもしれないという噂を聞いたこともある。

 一応、自宅から歩いて5分の場所にコンビニがあるが、駅の近くまで行かないとスーパーも銀行もないので、自動車は生活必需品というくらいの田舎である。
 人口13万人が他と比べて多いのか少ないのかよく分からないが、私自身は人が少なくて静かな住宅環境に満足している。


 そんな長閑な土浦市が、年に何回か人で溢れかえる時がある。
 毎年4月に開催される「かすみがうらマラソン」(今年は4月15日)と10月の花火大会である。
 他にも、カレーフェスティバルや夏祭り、薪能などのイベントもあるが、この2つに比べれば問題にならない。

 この2大イベントの日、土浦市街に住む地元住民たちは外出を控える。
 マラソンの日は、ランナーが走るコース確保で交通規制があるし、花火大会の時には普段の10倍くらいの量の車で、文字通り交通が麻痺するからである。

 これらのイベントの日程を確認しないと、仕事の予定が立たないなんて場合もある。
 さすがに、私の住んでいる地域にまで影響はないけれど、家の近くの国道の交通量が目に見えて増えるのは確かだ。


 何年か前のマラソンの日のこと。その日は生憎、土砂降りの雨だった。
 それでも、マラソンは雨天決行なので中止にならず、土浦駅の構内は参加するランナーさんたちでごった返し、外側のトイレも長蛇の列。

 私は運悪く、その日に出かけなければいけない用事があり、土浦駅に行ったのだが、まるで災害の避難所のような有様。
 改札から駅前広場に出るまでの通路は足の踏み場もない混雑模様。
 時たま出かける東京でも、これほどの人ごみは経験がないくらいだった。

 悪天候にもかかわらず、参加を放棄しないアスリートたちのマラソンにかける執念のようなものを感じた瞬間である。


 お金をかけずに手軽にでき、健康にも良いという理由でジョギングを趣味にしている兄は、何回かこのマラソン大会に参加したことがある。(今年も参加するはず・・・)
 兄が走る時は両親が、通過するポイントと、だいたいの時間を計算して、あらかじめ車で裏道を駆使して先回りし、沿道で応援する。

 母いわく、あまりに参加者が多いので、兄を見つけるのがバードウォッチング並みになかなか大変なのだそうだ。
 参加者の中には、純粋にマラソンをするよりも、目立ちながら走りたい人たちが多くいて、色とりどりの衣装や被り物をしながら走るので、さながら仮装マラソン状態。

 そんな中で、普通の格好で走っている兄は目立たないようでいて、かえって目立つとか。
 あとは、母親の執念で見つけ出すと言っていたが、いい年こいた中年息子を、ランナーの群れの中から執念で探している年老いた母の姿を想像すると、何だか背筋が寒くなってくる。


 いつもより人が沢山集まるということは、それだけで町が普段とは違って見えてくる。
 マラソンの日は土浦駅構内に臨時の屋台のようなものが設置されて、焼きそばやフランクフルトや、ランナーさんが好きそうな軽食がパックで売られていたり、地元の土産物の販売コーナーもあったりして、ちょっとした賑わいになる。

 ゆるキャラの着ぐるみが姿を見せることもあり、やはりお祭りのよう。

 普段とは違う町の雰囲気に、こちらも楽しい気持ちになって、テンションもちょっと上がるのだが、いつも快適に利用している駅ビル内のフードコートが走り終わったランナーさんたちで占められて、座れなかったりすると、上がったテンションがみるみるうちに下がってしまう。

 彼らが無言のうちに発している、走り切ったという達成感と高揚感で、その場の空気が妙にイキイキしているのも、なんだか居心地が悪い。
 少し走っただけで頭痛がしてくる私には、長距離を走り抜く気力も体力もなくて、当然、走ろうという気持ちも起こらない。

 彼らが味わっている充実感を羨ましく思うけれど、実際に味わいたいとは思わない。
 我ながら面倒くさい感覚に陥る自分を持て余してしまう。


 大量のランナーさんたちが、いったいどこからやって来るのかは知らないが、わざわざ時間とお金をかけてこの町にやって来て苦しい思いをするだけの価値が、この日にはあるのだろう。
 私にとっては、慣れ親しんでいる町の一種異様な賑わいに馴染めない自分を見つける一日である。


※いつもの「です・ます調」をやめてみたら、意外に文を書くのが難しかったです。。。
 自分の文なのに、読み返すと他人の書いたものを読んでいる気分になります(笑)
 慣れないことはするものじゃない・・・




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