アンのcafe'ポンタヴェン

フランス地方の焼き菓子やブルターニュ地方のそば粉のクレープ、そして地元桜山焙煎のブレンドコーヒを提供しています。

;福島船引町を離れた

2011-03-20 15:43:00 | 我が家族
 かなりの寒さと心身と肉体の疲労を感じたので、母に一刻も早く船引町を離れて上京することをススメた。母も同意した。
しかし、交通手段が難しく、弟と私の意見で激しい衝突がありました。
バスでの迎えに行き2~3日かけての無理のない弟の方法と私の西那須野までタクシーで新幹線で東京まで来る方法でした。母の意思は体力には自信がないけれど、頑張るから一刻も早くタクシーで帰りたい。結局母の意を尊重して、一人で東京駅まで頑張ってもらう事になりました。20番ホームで私が迎えました。
リックの中には隣のれい子さんがむすんでくれたおにぎり5個、ポカリスエット、歌舞伎あげお菓子、飴玉、着替え、おむつ、を入れて自称自家用押し車を引いて降りてきました。  “いや~命を拾ってきたよ・・・・”  
想像以上の恐怖であった事を察しました。


待合室で背負ってきた、れい子さんのおむすびを出して食べました。
ラップを開けたら福島の空気がそのまま包みこまれていて、冷た~いむすびにビックリしました。。大きくて真っ赤な梅干しの入った冷たいむすびはとても美味しかったです。母を送り出してくれた隣のれい子さん。ごちそうさま。ありがとうございました。


東京が生活の基盤になっている母は福島を離れましたが、叔父、叔母、そして隣のれい子さんは未だ家を離れないでいます。元気でいつもの夏に会えますように

私と弟どちらも親を思う気持ちからの事には間違いないのですが、兄弟の仲を裂くほどの激しい衝突をしてしまった事は、まだ癒えないでいます。

自宅に近付くにつれて、いつもの温和な母の顔になってきたのが救いでした。
いや~東京はあたたかいねェ~


東日本大震災

2011-03-16 12:24:44 | 我が家族
被災者の皆さんお見舞い申し上げます。

あの魔物のような巨大津波なんども映像で流されます。
息苦しくなります。  涙がこぼれます。
福島は私の育った所、とても穏やかな農村地帯。あまりに穏やかで都会にあこがれて夢馳せて青春真っただ中、当然のように故郷をあとにしました。逗子に来て、その何倍もの月日がたっています。 原子炉のある所が事故になる前はそんなに近い所あるとは考えたことも無かったです。
未だ、母は交通手段がなく自宅待機でいます。東京にいる弟が何とか、迎えに行こうとしていますが、“来るな!”と ひたすら断ってきています。
不安定な時、巻き添えにはさせられない。家族みんなでだめになる。こんな時はバラバラにいた方が良い・・・・
被災地近くから「我が家族」に発信してくる老母の言葉に感謝の意を感じてしまうのはどうしてなんでしょう。
私にも家族がある、守るために離れられない。人それぞれの事を察し、思いやる。
なんて肝っ玉の坐った、気丈な人なんだろうと尊敬を強めました。

~原子炉・早くおさまって~

2011-03-15 17:21:45 | 我が家族
大きな地震の後は・・・・・原子炉の爆発。
怖いですね。
母が福島に用事で帰っ日、地震にあいまいした。上京出来ないので自宅待機していましたが、今日は田村市内も避難状態にあります。

母は84歳ですが、携帯電話を持っていて使えます。
かろうじて早朝にはつながったので元気で気丈な声が聞けました。
近所の人達のお世話になり行動を伴にするように伝えました。

まだ、避難場所の確認ができませんが何とか人生の経験を生かして対応していると信じてヤミマセン。

地域のみんなの無事と原子炉がおさまってくれるのを心より祈ります