現代社会では、旧来から面々と受け継がれて来た独占的地位を保持する為に発生した、人間として生物として最も腐敗した最低最悪な「共産主義思想」と、生物が誕生して依頼続く、本来の生物の在り方に帰着する為に人間自身が経験によって学び、編み出した「民主主義思想」という2つの正反対の思想の闘いが繰り広げられている。
この腐敗しきった、人間だけが持つ破滅の思想である「共産主義思想」とは何か?これは理解するのが非常に困難である。今回はそれを考えてみたい。
先ず第一に共産主義思想は常に民主主義思想に偽装している特徴が有る。
通常、共産主義思想が蔓延している社会で生まれた人は、共産主義と民主主義の違いが分からない。
違いが分からない様に教育されて育つからだ。
非常に大量の騙され易いクローン人間を製造している様なものである。
民主主義に偽装するのは、社会主義思想の一部である共産主義思想には、人権の概念が全く無いからだ。
にも関わらず人権を重視しているかの様に偽装しなければならないのは、民主主義者から弾圧されて来た歴史が有る為だ。
つまり、民主主義者に擬態しなければ生き残れない。そういう状況に置かれている。
その偽装技術において進化していると言える。
しかし、中身は空っぽであり、益々有害性は増している。
共産主義において、最も優れた人物と評価されるのは、嘘をつくのがいかに旨いかに掛かっている。
人を生涯に渡ってだまし続けなくてはならない為で、極端な話し、本当の事は一切発言してはならない。
こういった人物が共産主義者のトップになっているのである。
腐敗仕切っているという表現が正に当てはまる。
何故、大量の屑人間を生産するのか?
実に簡単である。トップが凡人だからだ。
大衆を支配し続けるには、トップに合わせなくてはならない。(質より量という概念)
トップダウンが社会主義思想のメインで在り続ける、つまり、独占及び独裁を守り続けるには、この小学生でも分かる方程式が解けないぐらい一般大衆が馬鹿でなくては困るのだ。
この馬鹿バロメーターが共産主義報道局が良くやる世論調査だ。
常に一般大衆を監視し、自分たちがばら撒いている嘘の報道の効果を確認し、それに一喜一憂しているのだ。
繰り返すが共産主義者が真実を語る事は一切無い。
共産主義報道局の発する報道は、100%端から端まで嘘かもしれないと思って耳を傾けるべきで、実際にそれくらいで丁度良い。
現代では、この共産主義の擬態が非常に高度になりつつ有る。
しかし、キーワードは人権である事に間違いは無い。
どんなに偽装、擬態をしていても、彼らには人権の概念は皆無であるからだ。
人権とは、個人における行動の自由である。
但し、他人の人権を侵害する者は、その時点で人権が消滅する。
人命に危険が及ぶ場合は、殺人すら人権として正当化される。
これら正しい人権の概念は民主主義思想にしか存在しない。
共産主義思想が人権の概念を持ち出す時には人権を歪めて表現する。
ここから共産主義者の言う人権について考えてみる。
例えば、「嘘をついて他人の金を盗む」
「分からない様に気に入らない人を殺害する」こういった事は、人権侵害である。
しかし、いざ裁判になると、口を揃えて発するのが人権だ。
「困窮していた」「気が動転していた」「平素は良い人」などと弁護する。
「行動の自由」に付いては共通しているが、「他人の人権」に付いては皆無なのである。
行動の自由である人権は「人権侵害する者を除いた」全ての人に存在するのだ。
共産主義者は人権侵害している人にまで人権を与えている。
これは人権の概念に反逆している。
これは、「バレなければ他人の人権を侵害しても構わない」それが真の人権だという解釈が面々と受け継がれている為だ。
支配者という概念が社会主義思想に存在するが、共産主義者はそれを人権として考えている。
更に表向きにはそれを表さない所が社会主義と共産主義の違いだ。
社会主義は表向きから民主主義に反発しているが、共産主義は内側は社会主義だが表向きは民主主義という嘘で塗り固めた様な思想だ。(社会主義はトップダウン、民主主義はボトムアップと考える)
つまり、共産主義に対しては、透明性を主張すれば崩れてくるはずだ。
彼らはスパイ活動に優れ、嘘を要求される現場でも活躍しているが、透明性が確保されれば民主主義者となり得る。
そういう能力が要求される現場が民主主義社会にも存在するからだ。
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