花一輪:素のままを

私(輪子)のありふれた(以下)の日々を綴ります。
 <愛犬“花”& 娘 & 夫>との日常と雑感など。

心を奪われる

2018-03-31 22:11:22 | 過去







四週毎の満月。なのに 毎回まるい月を見ては思い出す事があります。

半世紀も前の事。どうしてだったかは定かには思い出せないのですが……夜遅くなっていて。
道路の両端(右と左)に離れて自転車を押し mt君とおしゃべりしながらの帰り道。
田舎の夜道は人通りもなく暗いのに その夜は月の光が幻想的に青白く照らしていて其れはそれは明るく………。

途中で心配し迎いに来てくれた父に会い T君とはサヨナラをして ホッとした表情の父と帰りました。
きっとそれは人通りのない夜道を男の子と並んで歩く娘の姿を見ないで済んだことに安心したのだろうと
何十年も過ぎてから思った事でした。

このファンタスティックな光景は今なお忘れられない月の夜の思い出となって……。

いまも部屋の奥までも差し込む事はある月の光ですが、
この地では車のライトや街路灯、夜遅くまで営業の飲食店の明かりだったりが明るくて
月の夜の幻のような あの青い光が夜道を明るく照らす絵は見られません。



昨夕の月






いつか待ち合わせて・・・

2018-02-14 15:31:00 | 過去
お変わりありませんか?

違う道を歩くと決めて、別れた貴方に「お見合いするから写真を写して」と
お見合い用の写真を写して頂いた日からほゞ三十年にもなるのに一度の偶然も訪れてはくれなくて…会えませんね。

お別れの最後に貴方は
「○○ちゃん(長男)が可哀そうだから、いつか偶然街で見かけたとき零落れ果てた身では居ないようにして」
とおっしゃいました。
幸運にも生活は水準にさせてもらっていますが、心は煩う事のみの日々を過ごしております。
この先も延々と続くのだろうと思います。

お別れした日から一度だけ用事でお会いした時
「お母さんは待ってても帰って来ないよ」と長男に言われると申しておられましたが…
私は数年に一度 貴方の戸籍簿をとり二人で変わりなく暮らしている事を確認しておりました。

あれからかなりの月日が流れています。お互いが元気で居るうちに いつか待ち合わせてお会いしたいと思います。
とても気にかかっている事が一つあります。
長男がどのような生活をしていて この先長男はどう生きてゆくのだろうか…という事。
そして、
別れの時には言えなかった言わなかった事などの双方の気持ちを穏やかに話し合えたらと 密かに願っています。

今日はバレンタインデー。
今でも愛情いっぱい心の全てを私に注いでくれていた貴方のことを忘れていません。
「今更 好きです」と告げることは出来ないけれど……。

『日本製紙連合会が「バレンタインデーには心をこめて手紙を書こう」と呼びかけて八年目の冬を迎えた』 ← 朝日新聞コラムより

偶然は訪れてはくれませんので、叶わない望みと諦めてはいるのですが お手紙書いてみました。
どうかあの方に届きますようにと祈り……。

よく晴れて 暖かく感じます。













一瞬思う

2018-01-15 16:57:01 | 過去






[わろてんか]でてんが出会った頃に藤吉から贈られたマスコットを取り出して見つめるシーン。
私にはこういう状況の時(同居の人が病気になり倒れた様な)
二人の絆というのかいつも身につけている思い出の種のような品物はあるのだろうか?
ない!貰っていない、、、

ふと一瞬思い出した
一昨日のブログに残した同級生のT君(m.t君)が 修学旅行から帰って「お土産」と言って下さったネックレスの事。
そして、何の時か覚えていませんが 禁じられた遊び(確かな曲名は忘れました)のオルゴールも そう言えば頂いている。
中学の時は何もなかったm.t君が… 卒業してから何故か親しくなったのです。
あのプレゼントは一体どういう意味があったのかしら?
深く考えもしないで「ありがとう」とすんなりもらってしまっていた。

よくよく考えても 
当時 m.t君は中学の時からの彼女がいて 私にお土産を買ったりは何だったのか 未だにわかりません。

友達以上ではないその交わりは自然消滅な感じで消えて。

それから相当な年月が流れて 同窓会で知った m.t君の消息は 交際していた中学からの彼女(r.kさん)と結婚しお子様二人。
不良グループと言われていた集団に入っていた二人です。結婚とは…意外に思えたのでした。
m.t君はただただ入っていただけでひどい人ではなかったと思う。
冬のある朝 同じ列車に乗る m.t君が紺のコート姿の優しそうな品ある女性と仲良さそうに……
距離を置いた私に 後日原因がコート姿の人と分かり「姉ちゃんだよ。学校見に行くから途中まで」と説明してくれて…
その時は少し自分に驚いて。この感情は???と。

m.t君は怖くないが彼女は正直怖いと思えて中学の頃も敬遠の人でした。
その彼女が m.t君亡きあとは子供を育てながら嫁ぎ先T家を守っているらしい。
私はダメ人間です。独り身を貫き通すことが出来ずに長男を彼(別れる事になった夫)に預けて 同居の人と一緒になった。

同窓会で m.t君とr.kさんの話を聞いた時 
校長先生の父と品のある姉様がいて旧家の長男であるm.t君に 
私なんかが釣り合うはずもないからと 敢えて友達以上にはならないとブレーキを踏むようなところもあったのに……
r.kさんとの結婚をお認めになるなら 私も大丈夫だったかもと 一瞬だけその時も思ったのでした。

何故早くに逝ってしまったのかは聞いていませんが、
優しく温かな m.t君と結婚していたら どんなだったのだろうか? 彼まだ生きていたかもしれない…
今のような話も通じないとイラつく不幸せな日々を送ることも無かったかも知れない……
と都合よい想像ばかりしてしまう。
が、所詮私の運命は変わらなかったでしょう、今のまま。
私の堪え性のない我儘な性格から今の道を選んだわけですから……… 










金木犀の香りは…

2017-10-10 22:17:31 | 過去
過ぎ去った戻らない日々を思い起こしてくれる香り……悲哀を呼び覚ます香りでもあります。

昨日夕暮れ時の散歩中、金木犀の香りが微かに鼻の先を撫でるのを感じて…
つい先日歩いた時には花は付いているのに香りが来なかったけど。

ふ~っと香ってくるその香りを感じるとあの日の幸せ時間がよみがえり切なくもなり……
切なくて目が潤むのですが、毎年きちんとあの日を思い出したい気持ちで 香りを待っている……

長男の小学校時代の運動会の昼食時、三人でお弁当を広げ食べていると金木犀の芳香に包まれて……
その時の幸せな時間とその香りが何時までも忘れられないでいる……

そんな幸せな時間をそれっきりにすることを決めたのは自分…。
私は看過されない罪過を背負いながら彼との暮らしは続けられないからと、
彼の優しさを振り切り 別な道を選びました。

そして私には一つの望みがありました。
そんなに広くなくていいが家の建坪の二倍から三倍位の敷地に小さな平家を建てて、金木犀を一株植えたい。
運動会の日の幸せだった時を感じながら 長男と二人ひっそりと暮らせたら……他に望むことはなかった。

が、叶うはずもなく…罪過ある私が望みなど持ってはいけないかった……
長男に母として幸せを与えられず苦しみばかりを背負わせてしまったことは、
今こうして打ち込んでいても涙が落ちてきます。

満たされない気持ちで流れるままの日々に身を置く破目になったのは神様からの罰・・・・。












藤袴?







お嬢様育ちの

2017-09-26 22:38:50 | 過去
義母(遠い昔の彼の母上様)。
昨日ブログ日記をアップして 義母の事を思い出し昨日続きで過去の事を。

義母の実家は花輪店。大事に育てられたようです。
 (多分花輪店じゃなくても子はみな大事に育てられているとは思いますが…)

彼のお父様に嫁いでくる決め手は「あの男は働き者だし金残す 大事にもしてくれる」という父親の言葉らしい。
その通りでお金も ま、成功者と言える。
そして事ある度に「あーかあちゃん、かあちゃんどうだ?」と義母の考えを尋ねる。そんな光景を何度も目にしました。
お仕事に関しては別だったと思うが、日常生活においては義母をたてていて。
そして類を見ない位義母を大事に大事にしていました。

そんな義父を見て育ったからか、彼を含め四人の兄弟たちもみな「かあちゃん、かあちゃん」と義母をそれは其れは大事にしていて…
そのお蔭かどうか彼もまた私を大そう大事にしてくれました。
なので私は感謝こそすれ とても背を向けるような事をしてはいけなかったのですが、
私の簡単なたった一つの望みを叶えてもらえなくて、、、
(未熟ゆえの行いに神が与えてくださった罰が 心の拠りどころをなくして生きる不幸せな日々なのです。)

私が手術入院をしたとき、 私が居ない間の彼のお世話を義母にお願いしました。
彼は日に何度も見舞いに来てくれて、 (看護婦さんたちは彼を無職なのかしら?と不審に思ったと思う位)
着替えた洗濯物を持ち帰り義母が洗って彼が病院に又持って来てくれて。その持って来てくれた洗濯物を見てびっくり ま~。
夏だったのですが、タオルなどがきちんと長方形に伸びてなくて脱水が終わったばかりの洗濯物を洗濯機から取り出しパシャッパシャッとしないで 
そのまま干したのか?と思ってしまう様な乾き方のタオルなどが荷物に入っていて……

それを見たときは余ほど私を憎かったか、洗濯をした事がなかったか? まさか彼が洗った?…
いくら使用人が居たとはいえ洗濯をした事ない人いるのかしら??などなど色々考えて、
私を憎くて仕方なかったのね… その日寂しい思いで夜を明かして…時は過ぎましたが。

其のあと彼が私の実家に連絡を入れてくださり両親や叔父さん叔母さん達が見舞いに来られ、私の実家の方はそういう事が派手なのでそれを予想して 
また鉢合わせも嫌だなと実家には連絡しなかったわけですが、余計な算段せずに初めから母に来てもらっていたら良かったと思いました。

実はその入院よりずっとずっと前、実家の両親が来て家の敷地の雑草取りをしてくれている処へ彼の両親が遊びに来られて鉢合わせ。
「きっとこうやって (私の)両親はしょっちゅう娘の家に来ているんだな」と思っただろうな、と。
何かいけない事でもしているようなばつの悪い思いをした事があって、入院中 実家ではなく頼られた方が嬉しいかな、喜んでくれるかななんて。
浅はかな考えで彼の実家を頼ることにしたのですが、そんな画策は見透かされていたようにも思えます。

遠く過ぎた日々の事ですが。。。