良い天気に恵まれた昨日、
住職であった我が祖父の50回忌法要が、
祖父の自宅でもあるこのお寺であった。
身内の住まいを褒めるのも如何かと思うが、
立派なお寺で、尚且つ綺麗に庭木が整えられ、
京都の寺院に行ってきましたと言っても、
おかしくないほどの佇まい。
なんとも芸術的な松の木が、
その雰囲気作りに一役を買っている。
正に日本の風景と言った感じである。
本堂側から見るとこんな感じ。
この本堂も上の写真に写る鐘撞堂も
私の子供の頃の格好の遊び場であった。
その頃となんら変わらぬ風景を、
しばらくぼーっと眺めていたい気分にさえなる。
実はこのお寺、木曽川まで、
歩いてほんの5分のところに位置する。
川では珍しい砂丘が広がる祖父江砂丘の近く。
それこそ子供の頃は夏休みの半分を
このお寺で過ごし、川で泳いだものだ。
懐かしい!
そんな思い出話はこれぐらいにして。
今のここの住職は母の兄である私の伯父。
実に95歳でしっかりとその役を担う!
天晴れである!
そして今回の法要には実に伯父を含め
7名ものお坊さんが読経をしてくださるという、
表現が相応しくないが、豪華なものである。
その法事が始まる前、
本堂の脇に設えられたいわゆる控え室の様な、
立派な応接用の座敷での法要手順の様な、
打ち合わせの席に同席をさせて頂いた。
ここからついぞお経と音楽の共通点みたいな、
ややもすると失礼な表記をするが、
お寺の孫が書いていると言うことでお許しを…
その打ち合わせ、
95歳の伯父が他6人に対してしたもの。
それぞれの役割、
お経の種類と順番、
そして終わり方。
そう、
それはまさしく
本日の曲名から進行確認、
ソリストの尺から、
アンコールの曲までと言った感じ。
実際伯父の説明は専門用語ばかりだったが、
要するにそう言うことであると言うのは、
皆さんの頷き方でよく理解ができたのと、
これがその時に言い渡された事項であったとは、
後に記載するが正に音楽に通じる話であったのだ。
法要が始まる。
「豪華」な読経は、このお寺で生まれ育った、
我がおふくろでもなかなか聞いたことがないと言う、
そんなまさに選曲であったようで、
伯父のこの日を思う気持ちの表れでもあった様だ。
この宗派、木魚はない。
木魚がないと言うのはまさにドラム不在。
リズムキープがリード頼りになるのは、
お経の世界でも全く同じなのは興味深い。
リズムどころか、動線の部分でリードの発声が、
基準音程になって進むわけなので、
専門的に何とお呼びするかわからないが、
リーダー的なお坊さんの役割は大きい。
ちなみにこの宗派の場合向かい合い並ぶ
右側一番手前の方がその役割だそう。
さらにちなみに、我が伯父は自院とはいえ、
この役割どころか、皆より一段低いところに座る。
なんか奥が深いのである。
リズムはないと先に書いたが、
場面によって拍子木が響くところがある。
まさにパーカッションがリズムを引っ張り、
盛り上がって行くかのごとくである。
これを担当するは我が伯父95歳!
一生懸命噛み砕いてそのパターンを紐解くが、
結構難しいそれを伯父は軽やかに操る。
四拍子と仮定するに、
1頭、2裏、4頭の繰り返しの様だが、
時々定期的に4が裏になり次の1も裏…みたいな。
95歳にしてこのリズム感、再び天晴れである。
途中からは聞いた事あるフレーズが始まり、
配られた楽譜ではなく経本を見ながら、
私も合奏ではなく読経に参加。
こう言う見方をしていたら、
一時間があっという間に過ぎたのでした。
あ、勿論心静かに手を合わせお祈りも致しました。
さて昼食。
お経読んでくださった住職のみなさんと、
一緒に頂くこととなったのがこれ。
これまた豪華でしょ^ ^
近くの住職の方はこれを見越して^^;
家人に送ってきてもらった様で酒盛り。
そこでの会話で知ったのが先に書いた話。
今回のお経はやはりおふくろが言った通り、
随分珍しい選曲であった様子。
それを先の打合せで当日言い渡されたリーダー、
伯父に言うは、
あの曲やるなら事前に教えてちょ!と。
この会話を小耳に挟み心の中で爆笑!
食事の時間も穏やかに過ぎ、
最後には本日二杯目のお茶を頂き寺を後に。
95歳の伯父の安堵した表情が、
なんとも印象的な法要でありました。
住職であった我が祖父の50回忌法要が、
祖父の自宅でもあるこのお寺であった。
身内の住まいを褒めるのも如何かと思うが、
立派なお寺で、尚且つ綺麗に庭木が整えられ、
京都の寺院に行ってきましたと言っても、
おかしくないほどの佇まい。
なんとも芸術的な松の木が、
その雰囲気作りに一役を買っている。
正に日本の風景と言った感じである。
本堂側から見るとこんな感じ。
この本堂も上の写真に写る鐘撞堂も
私の子供の頃の格好の遊び場であった。
その頃となんら変わらぬ風景を、
しばらくぼーっと眺めていたい気分にさえなる。
実はこのお寺、木曽川まで、
歩いてほんの5分のところに位置する。
川では珍しい砂丘が広がる祖父江砂丘の近く。
それこそ子供の頃は夏休みの半分を
このお寺で過ごし、川で泳いだものだ。
懐かしい!
そんな思い出話はこれぐらいにして。
今のここの住職は母の兄である私の伯父。
実に95歳でしっかりとその役を担う!
天晴れである!
そして今回の法要には実に伯父を含め
7名ものお坊さんが読経をしてくださるという、
表現が相応しくないが、豪華なものである。
その法事が始まる前、
本堂の脇に設えられたいわゆる控え室の様な、
立派な応接用の座敷での法要手順の様な、
打ち合わせの席に同席をさせて頂いた。
ここからついぞお経と音楽の共通点みたいな、
ややもすると失礼な表記をするが、
お寺の孫が書いていると言うことでお許しを…
その打ち合わせ、
95歳の伯父が他6人に対してしたもの。
それぞれの役割、
お経の種類と順番、
そして終わり方。
そう、
それはまさしく
本日の曲名から進行確認、
ソリストの尺から、
アンコールの曲までと言った感じ。
実際伯父の説明は専門用語ばかりだったが、
要するにそう言うことであると言うのは、
皆さんの頷き方でよく理解ができたのと、
これがその時に言い渡された事項であったとは、
後に記載するが正に音楽に通じる話であったのだ。
法要が始まる。
「豪華」な読経は、このお寺で生まれ育った、
我がおふくろでもなかなか聞いたことがないと言う、
そんなまさに選曲であったようで、
伯父のこの日を思う気持ちの表れでもあった様だ。
この宗派、木魚はない。
木魚がないと言うのはまさにドラム不在。
リズムキープがリード頼りになるのは、
お経の世界でも全く同じなのは興味深い。
リズムどころか、動線の部分でリードの発声が、
基準音程になって進むわけなので、
専門的に何とお呼びするかわからないが、
リーダー的なお坊さんの役割は大きい。
ちなみにこの宗派の場合向かい合い並ぶ
右側一番手前の方がその役割だそう。
さらにちなみに、我が伯父は自院とはいえ、
この役割どころか、皆より一段低いところに座る。
なんか奥が深いのである。
リズムはないと先に書いたが、
場面によって拍子木が響くところがある。
まさにパーカッションがリズムを引っ張り、
盛り上がって行くかのごとくである。
これを担当するは我が伯父95歳!
一生懸命噛み砕いてそのパターンを紐解くが、
結構難しいそれを伯父は軽やかに操る。
四拍子と仮定するに、
1頭、2裏、4頭の繰り返しの様だが、
時々定期的に4が裏になり次の1も裏…みたいな。
95歳にしてこのリズム感、再び天晴れである。
途中からは聞いた事あるフレーズが始まり、
配られた楽譜ではなく経本を見ながら、
私も合奏ではなく読経に参加。
こう言う見方をしていたら、
一時間があっという間に過ぎたのでした。
あ、勿論心静かに手を合わせお祈りも致しました。
さて昼食。
お経読んでくださった住職のみなさんと、
一緒に頂くこととなったのがこれ。
これまた豪華でしょ^ ^
近くの住職の方はこれを見越して^^;
家人に送ってきてもらった様で酒盛り。
そこでの会話で知ったのが先に書いた話。
今回のお経はやはりおふくろが言った通り、
随分珍しい選曲であった様子。
それを先の打合せで当日言い渡されたリーダー、
伯父に言うは、
あの曲やるなら事前に教えてちょ!と。
この会話を小耳に挟み心の中で爆笑!
食事の時間も穏やかに過ぎ、
最後には本日二杯目のお茶を頂き寺を後に。
95歳の伯父の安堵した表情が、
なんとも印象的な法要でありました。
大凡、どこのおっさん(ご住職)も声の張りが太く、前に通る方が多いのは日頃の訓練というか、修行の賜物かと思いますが、たまにあんた本当にリードなの?って言う方がみえますよね。痰ころ詰まらせながらぼそぼそ唱える方なんて最悪ですよ。
そういうのに限ってリズム感もなく明らかに音痴で聞いていると不快になることがありますが、良くできたもので脇役(サイド)が優秀で助けられていることが多いですね。小生も読経が流れている時は、つまらんのでそんなことしか考えてません。
実際よく手入れが行き届いていました。
私も仕事柄よく葬儀には参列する方ですが、
確かにおかしな坊さんいますね。
リズム感はないわ音程悪いわ…
お経ってホントに音楽的感性が必要ですよね。
実際のところ今回のリード、
いきなり久しぶりの楽曲だった感じで、
ちょっと音程が……でした^^;