ブルックナー音盤日記

録音データは下記サイトより
https://www.abruckner.com/discography1/

Symphony No. 3 in D Minor, Simone Young, Hamburg Philharmonic Orchestra

2023年03月31日 | 日記
1873 Original Version Ed. Leopold Nowak [1977]
14-16/10/06: Oehms Classics SACD OC 624
68:38 - 25:26 19:20 6:40 17:09

ブルックナーの版問題についてにわかに勉強した。
まず作者が一度作曲した作品を改訂したので、複数の稿がある。
その各稿についてさらに、作者生前に出版された原典版以外に、出版に際して弟子による改変を除くなどの目的でおこなわれた校訂が複数存在する。
ディスクデータに利用させてもらっている abruckner.com のディスコグラフィーでは、稿を作曲あるいは改訂がおこなわれた年号とともに Version、校訂者名を Ed. で表記している。

第3交響曲はブルックナーの生涯で大きな改訂の波が2回あったため、3つの稿がある。
よく演奏されるのはノヴァーク校訂第3稿(1879年)で、わたしが親しんできたベーム/ウィーンフィルの盤やヴァント/北ドイツ放送交響楽団の盤もこれだ。

3月7日に聴いたアーノンクールの盤について、何も知らずにただ「ノヴァーク版」と書いたが、正確にはノヴァーク校訂の第2稿で、ノヴァーク第3稿との違いのほとんどが稿の違いに由来し、3楽章のコーダだけはノヴァーク校訂の特徴のようだ。

今回のシモーネ・ヤングの盤はノヴァーク校訂の初稿(1873年)での演奏。
初稿と第2稿以降とは、第2稿と第3稿の違いが些事に思えるほど全然違う

冒頭から、トランペットソロの主題に続く木管のフレーズが倍に引き伸ばされている。
それが昔の日本の歌、たとえば月光仮面の歌なんかを連想させて、初めてでもないのに動揺してしまう。

全般に第2稿以降にない要素がてんこ盛りで、改訂の方向としては余計なものを削って必要なものだけを残したわけだ。
しかし、聴く方はほとんどが第3稿に慣れ親しんだ後に初稿に接するので、元の形のあちこちに余計なものがくっついて変形したように感じる。

マニエリスムの絵画を見るとき、ダ・ヴィンチやラファエロのスタイルを土台にしてそこに新たに加えられたものに着目することによって理解しようとする。
それと同じように、第3稿を原型としてそこに付け加えられたものによって初稿を理解しようとする。
でもそれでは向きが反対だ。

初稿を初めて接する未知のものとしてまずそのまま受けいれて、そこにどのように彫琢が加えられたかを味わうことによって第2稿、第3稿を知る、というのがスジだろう。
残念なことにわたしにはそんな能力はないので、初稿を聴くと本来の均整がとれた肉体に余計な肉が付いたりキノコが生えたりしたように感じてしまう。

それはそれとして、演奏はなかなかいい。
しかるべき緩急強弱を伴って、しかし細部に耽溺せずやや速めのテンポで推進力が切れない、辛口というかハードボイルドの演奏。

15年ぐらい前に買って聴いたときはつまらないと思い、それっきりにしていた。
今回聴き直してみて、たしかに好みではないけど、それはたぶんわたしがヤングより軟弱だからだろう。

音に魅力が無いのは残念。
鈍色といおうか、これも辛口要素ではありオーケストラの特性なのかもしれないが、録音の問題も大きいと思う。
ハイブリッドSACDをふつうのCDとして聴いているので文句は言えないかな。

12枚組の交響曲全集を買ったものか迷っている。

Symphony No. 2 in C Minor, Horst Stein, Vienna Philharmonic Orchestra

2023年03月28日 | 日記
1872/77 Mixed Versions. Ed. Robert Haas [1938]
29/11/73: Australian Eloquence 442 8557
56:50 ー 17:52 16:16 6:09 16:33

どの楽章も速い演奏。

特に第1楽章は、この曲の良さがまだよくわからないわたしが「何かがまちがっているのではないか」と思うぐらい速い。
「かなり速く ziemlich schnell」と楽譜に書かれているそうだから、こっちの方が作曲者の意図に忠実なのかもしれないが、聴いていると変な感じがする。

でもこの快速テンポが第4楽章の第1主題をノリノリに聴かせてくれる。
流動物が加速度的に沸騰、発酵、あるいは増殖するような、この曲を聴いていてほとんど唯一楽しく感じる場所、一番ブルックナーらしいところ。

魔法使いのあばあさんが大釜に取り付けたハンドルを指さして「回してごらん」という。
おそるおそる回し始めると、スープは徐々にプツプツと泡立ち、やがてたぎり立ち、釜からこぼれ出して、とうとう部屋いっぱいに溢れかえる。

グルグルグルグルグル ラッタッタッタッタ...

Symphony No. 9 in D Minor, Carlo Maria Giulini, Vienna Philharmonic Orchestra

2023年03月25日 | 日記
1894 Original Version. Ed. Leopold Nowak [1951]
Jun-88: DG CD 427 345
68:30 - 28:02 10:39 29:30

ジュリーニのブルックナーをはじめて聴いた。
本当はこのCDを買った時に聴いたはずだが、なんにも覚えてないからはじめてということにしておく。

ジュリーニの写真を見ると、分厚い文化資産を継承しなおかつ豊かな人生経験をあわせ持つ人物に違いない、などという想像がいつのまにか働いてしまう。
ハンサムというにとどまらない意味で容姿に恵まれているのだ。

この曲だからもちろん寂寥感はある。
でもジュリーニの演奏はなぜかその裏にあたたかいものが流れているように感じる。
のほほんと生ぬるいということではなくて、懐深い人格に裏打ちされた諦念というか。

旋律をていねいに歌わせていることは要因のひとつかもしれない。
でも、ジュリーニの視覚イメージが無意識裡に仕事をしている可能性も否定できない。

わたしがブルックナーに求めるものとはちょっと違う気がするが、よくわからないのでいずれ他の盤も聴いてみたい。

1楽章には「茫洋」と呼びたくなるゆるやかな箇所がある一方で、2楽章にはびっくりするほど急テンポの箇所がある。

Symphony No. 8 in C Minor, Herbert Kegel, Leipzig Radio Symphony Orchestra

2023年03月24日 | 日記
1887/90 Mixed Versions. Ed. Robert Haas [1939]
13-19/3/75: Pilz CD 44 2063-2
78:52 - 15:54 14:49 24:03 23:50

立派な演奏なんだと思う。
でも取り付く島が無く、楽しめない。

録音のせいかもしれない。
音が鳴り響く空間が感じられず、落ち着かない。
壁も天井もない真っ暗な空間の微妙に離れたところで演奏されているような感じ。

でもたぶんケーゲルが提示する音楽のせいもある。
オーケストラは上手い。
この時代の東独の録音だからベルリンやドレスデンから呼ばれた助っ人も入っているのかもしれない。
速めのテンポだが、軽いわけでもないし漫然とした演奏でもない。
インテンシティもある。
というかインテンシティしかない。
それ以上はつかみどころがなく、指揮者が何をしようとしているかわからない、というより、そんなものを求められることを拒絶しているかのようにも思える。

Symphony No. 7 in E Major, Lovro von Matacic, Czech Philharmonic Orchestra

2023年03月23日 | 日記
1885 Version with some Modifications by Bruckner. Ed. Albert Gutmann
24-30/3/67: Denon CD COCO 73076
68:54 ー 21:30 24:00 10:36 12:48

ずっと3, 4, 5番ばかり聴いてきて6番以降に縁がなく、中でも7番は一番苦手だった。
今回、第2楽章の良さをはじめて知った。
明るくなったり暗くなったり陰影に富む曲想だが、葬送音楽として聴くと陰影がより深く生き生きと感じられる。

演奏がすばらしい。
指揮者の意志でコントロールする部分と奏者の自発性に委ねる部分とが絶妙に融合している。
勇壮なスケルツォで特にそう感じた。

Symphony No. 6 in A Major, Joseph Keilberth, Berlin Philharmonic Orchestra

2023年03月17日 | 日記
1881 Version. Ed. Leopold Nowak [1952]
13-14/3/63: Japanese Teldec CD WPCS-12153
55:50 - 17:06 14:40 8:46 15:18

聴いているうちに、すっかり忘れていたことを思い出した。
凡庸な演奏。
まったくブルックナーらしくない。
ロマンチックな曲を型どおりに演奏しましたという感じ。

なぜそうなるのかわたしにはわからない。
まずテンポが速い。
だからチェリビダッケと違って聴こえるのはわかる。
ではヴァントと何が違うんだろう?
強弱の振れ幅と緊張感だろうか?
録音のせいもあるかもしれないが立体的に聞こえない。
こういうのを聴くとオーケストラの奏者は辛い仕事だと思う。

Symphony No. 5 in B Flat Major, Sergiu Celibidache, Munich Philharmonic Orchestra

2023年03月15日 | 日記
1878 Version Ed. Robert Haas - No significant difference to Nowak [1935]
14 and 16/2/93: EMI CDC 5 56691 2
87:40 - 22:43 24:14 14:33 26:10

チェリビダッケの時間について考える。
許光俊はチェリビダッケの演奏を噛んで含めると形容した(ように記憶する)が、聴いていて必ずしもそう感じさせない。
しかし1楽章で弛緩した時間帯があり、そのときにはテンポの遅さが意識される。

4楽章は最初奏者が失敗したりしていまいちだが、最後はちゃんとまとめている。

Symphony No. 4 in E Flat Major, Gunter Wand, Cologne Radio Symphony Orchestra

2023年03月10日 | 日記
1880 (aka 1878/80) - Ed. Robert Haas [1936]
10/12/1976: BMG/RCA CD 60079 and set
64:22 - 17:26 15:37 10:33 20:22

1楽章はちょっと地に足がつかない凡庸な演奏。
しかし2楽章以下よくなる。
特に第3楽章がすばらしい。
オーケストラの音量をコントロールしてダイナミックに立体的に聴かせるのがうまい。

Symphony No. 3 in D Minor, Nikolaus Harnoncourt, Concertgebouw Orchestra

2023年03月07日 | 日記
1877 Version Ed. Leopld Nowak (with Scherzo coda) [1981]
7-9/12/94: Teldec CD 4509-98405
54:34 - 19:29 13:26 7:02 14:37

つまらない演奏。
アーノンクールの辞書に美という言葉はない。
むき出しの強奏を躊躇なくできることがこの人の売りといっていいだろう。
なぜか録音も潤いも輝きもない。
しかしノヴァーク版で後半2楽章(特に第3楽章)が聴きなれたのとはかなり違う曲になっていたのには驚かされた。