「自分には何も特別なものがない😰 」
みたいな台詞を口に出したり
言わないにしても
心のなかで思ったりしたことありませんか?
人って結構
「ない」とか「持っていない」という部分に目を向けて
それで落ち込んだり悩んだりしている場合があります。
自分もまさしくそうでした。
自分の周りで注目されてる人や
何らかの成果を出している人を目にすると
そういう人たちの醸し出すものに強烈な印象を持ってしまう。
雰囲気だったり
成果だったり
スキルだったり
持ち物だったり
そうしたものが眩しく見えてしまう。
だって
自分と比べると
自分にはなかったり足りなかったりと感じてしまうから。
だけどね
最近気づきました。
こういう比べ方って
例えるならば
英語がネイテイブスピーカーの人と
英語の語彙力や会話力を
比べているようなものだと気づきました。
この例えのように
自分の英語力はなんて貧弱なんだろうって
ネイティブスピーカーと比べて
絶望感を味わう人は
いませんよね。
そもそもが
育ってきている土壌が違うわけなのです。
こう考えると
自分の周りにいて
成功オーラに包まれている人が持っている
キラキラしているようなスキルやら持ち物を
自分の場合と比べるって
そもそもナンセンスです。
英語のネイティブスピーカーに対する自分を比べてみると
日本語を扱うスキルであるはずです。
ネイティブスピーカーから見れば
日本語を自在に操れるスキルは
キラキラしているように見えているかもしれません。
日本語を話せる
日本語を読める
当たり前すぎて
自分にとって特別とは全然感じられないかもしれませんが
繰り返すけど
英語ペラペラのネイティブスピーカーからすれば
憧れレベルになっているかもしれません。
自分だからこそ知っている
自分だからこそできる
自分だからこそ醸し出せる
そうした自分が当たり前だと思っている部分に
もっともっと目を向けると
満ち足りた思いを感じることができると思います。
ないものを見るのではなく
当たり前に
持っているもの
身につけているもの
見つけていくと
世界が少しずつ変わっていくように
感じられるかもしれません。