水出しコーヒーを今年はじめて作った
作ったのは昨日
今日飲んだ。
本当に しみこむ
初めて水出しコーヒーを知ったのは
地元にある珈琲豆の専門店
当時はコロナ禍の今とは違って
試飲が自由にできたんだよね。
水出し珈琲なる言葉自体を聞いたのが初めて
そういえば
自分の中の自分が
飲んでみたい!!
って騒いでいたなあ
一口飲んだときの衝撃!!
驚いた
これは珈琲?
というくらいの
全くの主張のなさ。
珈琲だ!!っていう主張のかけらもない
ないけれども
口から飲んだのに
全身に行き渡るっていう感じ
やっぱり
しみこむんだよ
勢いとか
パワーとか
じゃなく
でも
体中に珈琲の香りが吹き抜けていく感じ
本当に
ふわ~って
柔らかく
やさしく
はかなく
でも
これはまぎれもなく 珈琲だ!!
それ以来
この魅力にはまっている。
最近
この水出しコーヒーのこの感覚とよく似てる!
って思った食べ物があった。
それがこれ
びわ
このびわは、家の畑でとれたもの。
結構前に
母親がどこかで食べたびわの種を捨てずに持ってきて
畑に植えたら
今では立派な木になったのね。
そもそもびわってそんなに目にする機会も
食べる機会もないよね。
イメージするびわだと
オレンジ色っぽい色なんだよね。
だけど
写真じゃイマイチわかりずらいかもしれないけど
このびわは
黄色いんだよね。
それも
ひまわり!!みたいな
主張する勢いのある黄色ではなく
緑というか黄緑に近い感じ
本当に控えめ
だけどね
食べてみると
甘み と うまみ と みずみずしさ
が全身を駆け巡る。
味には強烈なパワーとか主張はないんだよね
だけど
身体に染み渡る・・・・・・
水出し珈琲と同じだって思った。
こういう風味とか味わいって
すごく
日本的だなって思うんだよね。
うちに秘めた強いものがあるのだけれど
外側にはそれを出さないで
ふわ~って感じ
消えてしまいそうな感じ
はかない感じ
でも、確かに存在している
だから
日本人は
色々な表現というか言葉を作ってきたのだろうね
びわの黄色を見ると
黄色という色ではあてはまらない。
そこをなんとかその色に当てはまるような表現を作り出す
日本人っていうと
独創性がない!
ってイメージだけど
とんでもない!!!!
って感じがするなあ
こんなに豊かな表現を持っている国はすごいと思い
むしろ
独創性かなりあるよ。
何もないところから
合うものを作り出すっていう力
これは自分の中にもあるのだろう
本当にとてもとても繊細だけど
とてもとても豊かに存在している
そんなものをしっかりと見つめて
味わっていくようにしたいなって思いました。
何かあると
どうしても悲しかったり悔しかったりする気持ちを強く受け取っちゃうけど
ネガティブな方に目が向きがち・・
だけど
昨日も書いたけど
違う見方
違う感じ方
違う意味
ってものが存在しているはずだからね。
そういうものを
じわ~って受け止めていきたいなあ。
しかも、ないものを作り出せる力まで持っている!!
って 自分を見直しつつ
水出し珈琲を飲み
びわを味わい
この間買った
女性者のTシャツを着ているご機嫌な自分
梅雨時の昼近く。