春の暖かな陽射しの中
ほわ~ってしながら考えた
人の目を気にする
人の目を気にしてしまうのは
単純に
視線を外に開いていないせいなのかもしれない
例えてみれば
目の前に桜の花が咲いているのに
それを見ないで
内面というか
現実じゃない幻の世界に視線を向けようとしている
そもそもそんなものないのだろうし
これだと言いたいことわからないね
だって他の人が自分を見ているかどうかすら分からないのが現実でしょう
それなのに
自分が他の人から見られていて
こう思われるに決まっている とか こんなふうに見えているのじゃないか
なんて
ああでもないこうでもないって心配するのだけど
そもそも実態がないんだよね。
多分
私の中の心配したがる自分が
出している映像や音声すらない不思議な映画
目の前の桜じゃなくて
その映像も音声もない映画を見ようとするから
モヤモヤ感が半端なくなるのかもしれません。
当然いい気分じゃなくなります。
それならば
目の前のリアルな世界に目を向けよう!
桜を見れば ああ!きれいだ! 春だなあ!
って感じて心地よくなりますよね。
目の前にいる人の内面なんかは
何考えているのか
当然分かりませんよね。
大体
自分の内面すらわからない場合があるくらいですもの。
ならば
そんな謎なものに目を向けるのではなく
私が目の前の人に目を向ければよいのです。
よく見てみましょう。
よく感じてみましょう。
その人への感謝、素敵な面、楽しい思い出
その人の服装、髪型、持ち物、お化粧
見るものっていっぱいあるよね。
それらを感じ取って
素敵ですね
って声を発していけばよいのです。
中には
心がトキメカない人もいるかもしれないけど
ここでね
ネガティブ言葉やら感情やらを無制限に出してしまうから
逆に
自分もそう思われているのじゃないかって
勘ぐってしまうのでしょうね。
なので
学び
もしくは
修行
とみなします。
その人のおかげで
自分は何を得ているのか
その人に
感謝できるのは何だろうか?
反面教師って言葉もあるし
もしかしたら
お礼を言うべき事柄など思い出したり
服装やら趣味やらで
お話できる話題もあるかもしれません。
つまり
世界は
自分の前に広がっているものなのです
目を外側に向かってしっかりと開いて見ていこう
人からどう思われるかを気にする前に
自分が世界の素晴らしさを感じて見つけていけばいいのですね。
と
春の暖かさが私に教えてくれました。
こちらは桜はまだまだです。
でも
こうした
心が温まるような閃きが湧いたというのは
春に包まれてきているからなのでしょうね。
春って新しく生まれ変わるイメージありますものね。