メヂューサとの出会い
イスタンブールの地下宮殿の一番奥に逆さにされ 横向けにされて石柱の台座にさていたメヂューサをみたとき。
エーゲ海沿岸のディディマという今は廃墟になった町の道端にゴロンと顔が転がされているとき。
どうして、この国では こんなにも粗末にあつかうのだろう と思ったのである。
調べてみようと思ったが、メヂューサに関する本など1冊もないのである。
ガイド本をみても、どこにも書いてない。
写真はあるけれど その説明文がない。
現地で書いたものがないのだから ましてや日本であるわけがない。
やっと探し出せたのがこの本である
「森のこころと文明」{安田喜慶著NHK出版>。国際文化研究センター教授でエーゲ海沿岸都市で花粉分析という手法でエーゲ文明の滅亡の原因をつきとめ、環境考古学という新し領域の学問を作り出した現在京都大学教授である。
この本のなかで「メヂューサの目とモアイの目」という項目で詳細に書かれている。
その要旨を紹介します。
メヂューサとはギリシャ神話に登場する怪物のことである。髪の毛が蛇の、恐ろしい目をした怪物である。一目見た人は恐ろしさのあまり、たちどころに石となったしまうほどの恐ろしい怪物である。
メヂューサをこのように醜い姿に変えたのは、ギリシャの女神アテネだった。
メヂューサはかっては美しい乙女だった。
メヂューサの母は大地の神ガイアの娘ケト。ケトは兄弟と結婚し、3人の子をもうけた。」
メヂューサは末妹であるが、美しい娘だった。
それを気にした女神アテネは殺す計画を立て、ペルセウスに青銅の鎌をわどんな事があってもメヂューサの目を見てはならないと忠告する。
ちかよったペルセウスは鎌で一気に首を切り落とす。
メヂューサは何故殺されなければならなかったのか。
単に美しいだけだったのに・・
メヂューサはギリシャが発展期に入ったBC8世紀ごろ登場している
シチリアのパレルモ博物館に「メヂューサの浮彫」がある。ペリセウスが剣をメヂューサの首に充てているのが見える。左手でメヂューサの髪をつかみ、メヂューサをみないように目を背けている。
BC580年ごろギリシャのコフル島のアルテミス神殿の破風に飾られたメヂューサは犬歯をむくだしにした恐ろしい形相のメヂューサになっている。蛇のベルトを締め疾駆するメヂューサである。高さ3.5Mの巨大なメヂューサである。
神殿に入ってくる邪悪なものを追い払う役目をしていたのである。
BC479年大国ペルシャとの戦いでギリシャが勝利して以来、ペルシャの影響はエーゲ海から一掃された。ギリシャ文明の繁栄期がきたのである。
個人の自立とともに、商業や交易が発展し、ソクラテス アリストテレス プラトンなど科学 文学が発達し、のちにギリシャ文化の”黄金時代”を迎えたのである。
この時代以降 メヂューサは突然美しくなり、微笑むメヂューサが多くなっていった。
怪物メヂューサは本来は目の力で邪気を追っ払う神殿の守り神だったのである。
それが顔を替え、時には恐ろしい姿になったり、やさしく守り神となったり、時代背景を映して変えていった。
トルコのデイデイマのアポロ神殿の玄関の上に飾られたメヂューサはその典型である。
ヘレニズム時代に入るとアレキサンダー大王がペルシャのダレイオス王と戦うとき、守り神としてメヂューサの画を胸に飾って戦った彫刻がある。
ローマ時代に入るとローマ皇帝の胸にメヂューサが彫られているケースが多いのである。
トルコのアンタリア博物館にはローマ時代のぺルゲの街から出土した素晴らしい遺跡が展示され、皇帝トラヤヌス ハドリアヌス皇帝の彫刻にメヂューサが彫られている。
エフエソスのハドリアヌス邸の門の梁にメヂューサが真正面に飾られている。
このようにメヂューサを身につけているだけで、邪気をはらいその人を守ってくれると信じられていたのである。
シチリアの国のマークにメヂューサが採用されている
現代においてもトルコの土産店では青い目をしたガラス玉を売っている。年間2千万人の観光客が買ってゆくという。