昨日、和歌山の田辺を出立したの午前7時40分。
田辺駅で土産の買い物、途中幾度かSAで休憩を重ね順調に大阪へ、
ところが何故かナビを見違え、高速の進入路を間違え千里周辺をうろうろ、
それでもナビに助けられ吹田で名神に入り、
途中京都南で降りて伏見近くにあるお寺で妻の姉の御墓に参り、京都東で一路北陸へ大した渋滞に合う事無く小松に帰ったのが午後3時20分。
妻の実家の墓参りを済ませ今年の盆の行事は一応全て無事に終えました。
田辺では実家の墓参りに、新仏の叔母、従姉、友人の義母宅。
それに世話に成った叔父、田舎にいた頃の勤め先社長宅に
幼馴染の友人宅の親父をお参りして参りました。
本日は少々疲れています。
田舎には叔母二人が健在で90歳と88歳な成ります。
90歳の叔母(母の姉)は車いすの世話に成っています。
旦那さんは体力が衰えたと言えど元気で94歳に成ります。
同じ介護施設に入居して介護を受けながら夫婦水入らずで暮らしています。
二人で月23万円程の出費だそうです。年をとってもお金が必要ですね。
聞けば昭和16年の結婚だそうで連れ合って69年ですね。
叔父は90歳まで株の売買をしていた様で、何時も頭を使っていたのが良かったのでしょう。
叔母夫婦は子供に恵まれませんでしたが私が子供心の付いた頃から、大変仲が良かったです。
夫婦の有り方を教えられます。
一方の叔母は、亡き父親の妹で戦争未亡人です。
昨日は終戦記念日でしたが、叔母にはまだ終戦は無いのでは・・・・・?
実家近くの農家に嫁ぎましたが、夫は叔母に一粒種を残しその子の顔を見る事無く太平洋の波のもくづに・・・帰らむ人。
その後、父(兄)の手助けで嫁ぎ先を守り息子(従兄)を立派に育てたのです。
元気な時は本当によく働きましたね。
その姿は目に焼き付いています。
そのガンバリ屋の叔母も近年は体力・気力も衰え今は看護施設で御世話に成っています。
「親父の名前にその息子の正憲」と言えば言葉は発しないが意味を理解してか顔をくしゃくしゃにて・・・・・・私も妻も*****
約70年共に仲良く助け合って暮らす叔母夫婦、
一方は10月も新婚生活を送る事無く家族の為に過ごした人生。
昨日は終戦記念日ですね。
共に戦争を体験した二人の叔母です。
遺骨に成っても叔母の夫の様に日本に帰って来れなかった多くの人達がいる事を日本国民は忘れていは成らないですね。
田舎ではいい物を見て来ました。
従兄の息子が新築した住まいです。
此方でも最近は珍しく成った和風建築。
外観は塗りと板壁で仕上げ、それに表わしの屋根庇に化粧庇。
従姉は兼業農家ですが、久しぶりに田舎の家を見ました。
玄関に入れば誇らしげにひのきの大黒柱。
一階はすべて真壁造りで和室の続き間。
いいですね大黒柱の有る住い。
樹齢300年のひのきと聞きました。
主人=大黒柱
この考えが今の日本に少ないのでは無いでしょうか。
まじめな社長の真面目な住まい造り実践会 代表米田正憲
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