令和の大震災
TVでの能登方面の惨状を見ているだけで、何でか解らないが疲れが溜まる一方です。
被害の大きさが解る程、胸に迫るものが有ります。
さて今回の大震災の後、私の故郷から親戚、幼友達、同級生等々知り合いの方々から
「どうだった?大丈夫か」との無事確認の電話を頂きました。
ありがたい事です。
その中の一人ですが、私の記憶が正しければ、20代に会ったきり、ほぼ記憶から消えていた一人の高齢の女性がいました。
同郷の方です。
「まあちゃんどうもなかった?」「お陰様で私の所は軽微で」・・・その後は
昔話が長々と・・・。
青春期、彼女の旦那とその兄弟とよく遊びました。
しかし旦那さんはもう直ぐ20回忌との事、亡くなっていたことすら知らなかった。
若かりし頃の彼の顔が浮かぶ・・・・・。
又高校を卒業してから初めて連絡のあった同級生。
ほぼほぼ60年ぶりの声。
電話の向こうから「米田君**や」私はその名字から下の名前を「**君?」と言えば
「**と違う**や」に始まってこれも懐かしさのあまり話は尽きない。
余談だが、同級生には今世間を騒がしている二階議員の地元にいるので、自ずと話題に・・・。
大きな災害を受けた能登方面の方には申し訳ないが、この歳になっても記憶に残してくれている事は有難いのですが、複雑な思いです。
人生平穏が一番幸せと言うが今回の天変地変からその思いが余計に強くなった。
震災に遭われた方々の一日も早い復興を願うばかり。
私に手助け出来る事は、せめて心ばかりの義援金を贈ろうと思ってます。
大野市アラカルト・・・荒島岳をバックに朝の一番列車
朝もやが沸き立つ真名川と荒島岳
真名川にかかる越美北線と荒島岳