下手な横好き

生きている

今日で大震災が起きて10日、アット言う間にとの思いです。

被災地の現状は想像に絶する酷さですから、色々な面において現状の回復に時間がかかり、

困難でしょうが被災された人々は必至に頑張っています。

少しでも皆様方応援致しましょう。

その様な中で、18日ヤフー配信記事からです。

映画でもTVでも小説の中では有りません、貴重と言えば良いのか、大変な体験をされた

男性のドラマです。

我々も心に留めておかなければと思いまして紹介致します。

大津波から生還、原発から退避…「でも生きる」

読売新聞 318()1442分配信

 東日本巨大地震で、宮城県多賀城市内で大津波に襲われながら、生還した
男性がいた。

 
 福島県南相馬市の運送会社員(40)。ワイヤにしがみついて津波の衝撃に耐え、18時間も冷たい水につかりながら助かった。

しかし、ようやく戻った自宅で待っていたのは、東京電力福島第一原子力発電所のトラブルによる避難生活だった。
次々に降りかかる災難。「津波と原発の二重苦だ。それでも生きていかなければ」。会社員は、そう心に決めている。


 「ゴー」。11日午後3時20分頃、仙台港で、運んできた荷物をトレーラーから
下ろした直後、会社員の耳に地鳴りのような音が響いた。

海の方を振り返ると、数百メートル先に津波が見える。高さ約10メートル、壁の
ような波の上で、コンテナや車がクルクルと回転していた。


 「少しでも高いところに逃げないと」。とっさに、近くに並んで止まっていたトレーラーの中で一番高い荷台に飛び乗った。
運転席近くに張ってあった鉄製ワイヤにしがみつく。
すぐにたたきつけるような波が襲ってきた。
「ダメかもしれない」。
何度も流されそうになりながら、ちぎれそうになる指に力を込めて体を支えた。


 「助けてくれー」。隣のトレーラーが横転し、荷台にいた同僚が叫び声を上げながら水にのみ込まれた。

津波が過ぎ去っても、首から下は水につかったまま。
周りを見渡すと、周囲の建物は消え、残骸となった立体駐車場だけが残っていた。


 日が暮れた。上空から自衛隊のヘリコプターのサーチライトが付近を照らす。
凍えて体に力が入らない。
何とか片手を振ったが、気付いてもらえない。
余震の度に水面が揺れ、近くで起きたコンビナート火災の「ボン」という不気味な
音が暗闇に響いていた。


 その時だった。「死ぬんじゃねえぞー」。
流されたはずの同僚の声が遠くで聞こえた。

同僚は救助され、少し離れた倉庫2階に避難していた。
「大丈夫だ」。大声で返す。
寒さで意識を失いそうになるたび同僚の励ましの声が聞こえ、気持ちを奮い立たせた。

「妻子を残して死ねない」。自分に言い聞かせ、耐えた。


 長い夜が明けると、少しずつ水が引いていった。
午前10時頃、荷台から下り、水の中をがれきに足を取られながら40分かけて
移動し、同僚らのいる倉庫に引き上げられた。


 その日、同僚の車で約4時間かけて南相馬市の会社にたどり着いた。
心配して社に駆けつけていた妻(36)、長男(10)、長女(2)と抱き合った。
自宅は無事という。涙が止まらなかった。

「生きていることが自分でも信じられない。こんなことがあるんだと思った」


 必死の思いで戻った我が家。
だが、「奇跡の生還」から2日後の14日、福島第一原発3号機で爆発が起きた。

足は凍傷になっており、医師からは入院を勧められたが、家族と避難することを
決めた。「放射能が広がったら危ない。家族を守らないと」


 福島市で避難所暮らしが始まった。
原発の脅威は増すが、ガソリンが足りず移動手段もない。

つらい生活は続く。

だが、前を向いて生きようと決めている。
「命があって家族といられればそれでいい。みんなで苦しみを乗り越えたい」

この男性の命をつなぎ止めたのは、家族への思いと声をかけ続けた同僚です。
これからも大変ですが家族と共に頑張って下さい。
いつの日か安住に暮らせる事を心から祈っています。

 


写真を趣味に高齢者の戯言

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