「父さんが…しかし、なぜ?まるで分からない…だってヤエコはあの時すでにレシピエントが既にみつかっ…」
そう言いかけて僕は脳裏に浮かんだものに口を遮られた。そうだ。思い出した。あの夜の一月程前に彼女のレシピエントが決まったという知らせを受けたことを。そしてその提供者が今は誰のことだか分かる。その彼女がここを逃げ出す訳も、父が彼女を見つけ出し殺そうとした訳も。そしてヤエコが死んだ訳も間違いなく彼女に深く関わっている…
「…それ以上は言うな、シルシ。考えてもいけない。ただ、懐かしむだけのためにある過去だ。太一も自ら死を選ばざるを得なくなった本当におろかで凄惨な計画だったのだ。君もつらい思いをするだけだ」
「…くそ…クソッ!」
僕は思わずヨミの顔がのぞくカプセルを思う様に殴った。
「シルシ君…!」
アキラが僕の腕を両手で掴んで止める。
あいにくカプセルは一度かすかに振動を表面に伝えただけで、中のヨミはただ静かに目を閉じていた。
「さあもう時間だ。もうすぐやつらが来る」
「やつら…?」
「ああ。ヨミの父親とその取り巻きさ。このヨミに会いに来るんだ」
「教えてください。ヨミ、それにイナギはどうしてあんなことを…」
「その話は今度にしよう。あれは本当に計算外の事象のほつれだったのだから」
やはりイナギの行動はウケイ先生にも予想がつかなかったらしい。
「…先生もういっちゃうの?またボク達の知らないところに?」
そう言ってアキラはウケイ先生の腕にすがる。
「ああ。最後にアキラ、さあもうお別れだ」
そう言ってウケイ先生はアキラを引き寄せる。
「先生、やだよ…」
アキラは力なくそう嘆くと背の高いウケイ先生の肩に手を回して声を震わせた。だんだんとそれは嗚咽が混じり、ウケイの背中にすがった両手が白衣のシワを深くしていく。ところが。アキラが一瞬、「…あ」と声をもらすと力なく手を解くとそのままその場に力なく倒れこんでしまった。
「…先生?」
アキラは何が起こったのかも分からないまま倒れこんで意識を失った。ウケイ先生の右手には小さな注射器のようなものが握られていた。何が起こったのかも理解できないまま戸惑っていた束の間、ウケイは倒れたアキラを乗り越え信じられないくらいに素早く僕に飛びかかり、厚手のセーターを貫いて肩に鈍い痛みを与えると、容器に残っていた溶剤を全て僕に流し込んだ。
「…ウケイ先生…あなたは」
みるみる全身の力が抜け、どうにかウケイ先生の白衣の袖にしがみついていた片腕もあえなく崩れ落ちた。
「とにかくシルシ、お前が来てくれたことは好都合だ」
好都合?そうか。いずれ僕もアノンと同じようにここに連れ去られる運命だった。それならどうかアノンより僕を先に生贄にしてくれないだろうか。もう疲れたんだ。寝る前にいつも練習してた。このまま二度と目覚めることなく終われるならそれもいいと。アキラ、巻き込んでしまってすまない。トトは…トトがちゃんと段取り通りしてくれれば、たぶん大丈夫だ。薄れ行く意識の中でわずかに開いた僕の瞳にウケイ先生が携帯電話を取って何かを話しているのが見えた。
「…ええ、手はずは整ってます。はい。そういうなら是非いらしてください。証拠をお見せしますから…」
駄目だ。外界と僕をつないでいた細い糸もそろそろ途切れようとしているのが分かる。と、わずかに残った皮膚の感覚が耳元に人の気配を伝えた。『アノンを連れて早くここから逃げるんだ。そして一週間アノンを守れ』確かにそれは僕に伝えた。『あの夜のヤエコとマキのようにうまくやるんだ…』
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