こんなに大勢の前で許可も取らないでゲリラでやってる周知活動だ、変なやつに絡まれるのも今回が初めてって訳じゃない。けど、彼女の言葉は意味深げに今の僕に響いた。『これは嘘ですか?』彼女は僕にそう聞いた。その言葉は僕の鼻の奥あたりで引っかかって、左手に握ったままのビラをみすぼらしくシワだらけにした。
所在なく頭をかきながらふと見上げた巨大液晶スクリーンでは、震災で一度崩れた第二東京タワーの復旧作業の開始を告げてる。それからすぐに画面は切り替わって給自足生活を始めたという若者たちの話、天皇が京都に移るという話、異常気象の話…そんなニュースを朝のスクランブル交差点をせわしなく行き交う人達の内ポケットに忍ばせていく。
『…と、そんなことより…』
歩行者信号が青に変わって、目の前にまた人の波があふれ出す。僕がまた誰でもない誰かに向かって呼びかけようとした時、左手に持ったままの一枚のビラをかすめるようにとられるのが分かった。とっさのことでそれが目の前を通る大勢の人のうちの誰だかは分からなかった。でも、とりあえず礼は言わないと…思わず
「ご協力ありがとうござ…」と言いかけたところで、相手が分かって、やめた。
その本人は、ちょうど女の子がたっていたのと反対、僕の視界を離れた斜め前で難しそうな顔をしてビラを眺めていた。もちろん、さっきの女の子とは似ても似つかない。僕はしばらく様子を見ていたけど、反応がない。和風な顔立ちにまっすぐに伸びた黒髪に、ファーが着いて身体の線が出るぴったりとした赤いコートを着て、皮の帽子を被ってる。
「おい。アキラ…」僕はようやく声をかけた。
「何?ぼおっとして。かわいい子でもいた?」アキラはビラから目をそらさず言う。
「女の子には違いないけどな…」僕はつぶやいた。
「誰かいたの?ボクには見えなかったけど…そう願ったら、見えるんだろうね。きっと」
「…で、何しに来たんだ?」
僕はアキラが持っていたビラを奪い取る。
「何枚?」
アキラは僕の質問に答えずにそう聞く。
「え?」
思わず言葉に詰まる。
「何枚掃けたって聞いてんの」
僕は黙る。
「本当の数に三かけてもしてもいいよ?」
余計に僕は黙った。
「…ああ、そういうこと?」
嫌な笑みを見せてアキラは僕からビラを再び取り戻すと、出勤途中の中年サラリーマンのところに歩み寄って話しかけ、またすぐに帰ってきた。
「…じゃん」
勝ち誇るアキラを無視していると、
「じゃん」と小声でもう一度つぶやいた。
僕は応える代わりに左手の脇に挟んでいた人束を全てアキラの胸の前に押し付けた。アキラはそれを受け取りながら
「シルシ君、その…疲れてきたのかな? 察するに」と穏やかに言う。
「大丈夫。心配すんなよ。今日ははりきってるんだ。あの日と同じ曜日だからさ、こうやって通りがかってる人の中にあの時間ここにいた人がいる可能性がある」
「…あのさ、憎めばいいと思うよ」アキラがふいにつぶやく。
「憎むって?」
「ヤエコちゃんとお父さん、それにシルシ君の身体をこんなにした犯人を」
「…お前結構怖いこと言うな」
「そう?普通だよ」そう言ってアキラは笑った。
「じゃ、隣でやるね。ボクも一緒に声出しするからさ」
アキラはちょうど僕がやっていたようによく通る高い声で始めた。僕も一緒になって、親鳥を待つ小鳥のようにお互いに呼びかけあった。決まってビラが取られるのはアキラの方だったけど。
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