× × × × × × × × × × × × × × × × × × ×
「…ここは?」
頭には温かい感触があって、頭をなぜる手の感触がどこか懐かしい感じがした。静かに目を開けるとそこは薄暗くとても狭い場所。私は身をちぢこませて収まっている。聞き覚えのある歌声がその中で響いて幾重にも反響している。まるで夢を見ているようだけど、体中の鈍い痛みに一瞬で現実に引き戻された。すぐ目の前にぼんやりとしたマキの顔があった。私に目を覚ましたのに気がつくとマキは歌うのをやめた。
「…ヤエコ?…くるしい…の?」
マキはたどたどしい口調でそう言ってくれた。
「いいの、続けて…聴きたい…」
切なくも優しい旋律は拍子にあわせてマキの手が優しく私の背中をなでてくれている。
だんだんと見えてくるもので事情が分かってきた。テナントビルがひしめく街の小さな公園の真ん中の砂場にあるおわんの形をした遊具だった。コンクリートでできたそれは十代の女の子でも数人は入れそうな広さで、少しの間寒さをしのぐくらいなら充分だったし、周りの奇異の目をさけるにもちょうど良かった。
私はマキに抱かれながら落書きだらけの低い天井を眺めている。入り口から差す光でぼんやりだけど何が書いてあるかは見える。たいていは下品な言葉や、意味の通じないアルファベットそれに恋人達の名前で埋められてる。その中で私は目を引いたものがあった。赤い色で塗り込められた数十文字の言葉は、見たことがない形をしていた。それもまだ乾ききっていなくて分の最後の節の辺りの文字は光沢をたたえていた。
「マキ…これって…」
マキの片手を手に取ると小指の先の方から血が伝って手の平まで真っ赤に染めていた。
「…あかし」そう言ってマキは笑った。
私はその行動に驚きながらも、精一杯に笑った。
「ありがとう。マキ…」
「ヤエコ…も…いっしょ」
辿々しいけど一つひとつはっきりと伝わってくるマキの言葉。これまでマキが口を閉ざしていた訳はその出自を知られたくなかったからなのだろう。
「マキ…あなたは一人で、ここに来たのね…寂しかったでしょうね…」
「ヤエコもいっしょ、わたし、と…」
身体は凍えそうなのに汗がにじむ私の額をなぜた。
「ごめんなさい。私はもういけそうにないの。とにかく今はこのお金を持って逃げて。私、ウケイ先生に話してみる。大丈夫。ウケイ先生は分かって…」
そう言いいかけて私は外の様子が変わったことに気づいた。朝の公園の静けさに紛れて数人の慌ただしい足音が地面を通じてかすかに伝わってくる。悪い予感がする。多分、気のせいじゃない。
「マキ、逃げて」私はマキの服の襟首をつかんで言った。
「ヤエコ、いっしょ」マキは悲しそうな目をして言う
「いいから早く!」
私の剣幕におされてマキは躊躇いながら私を残しドームを後にした。
『ちゃんと逃げてね。私何とかやってみるから…』私は祈るように目を閉じた。マキと一緒に街を歩いてみたかったな。同じ歳の子達がしているようなことしてみたかったな。
再び目覚めたときには私は見慣れた天井を見ていた。まるでここを逃げ出した夜のことがが嘘のように。マキはちゃんと逃げられただろうか?分からない。傍らで誰かの話し声がしてる。ウケイ先生だ。私の意識が戻ったのにはまだ気づいていない様子で、私に背中を向けて誰かと電話してる。
「…そう…わかった…大丈夫…時間の問題だな…こちらもすぐに手配はしてお…」
良かった。マキはまだ無事だ。私もあまり眠っていたわけではなかったようだ。ただ…ウケイ先生の言葉が気になった。『時間の問題』。確かに私の耳にはそう聞こえた。外の世界も言葉もろくに分からない女の子がどこまであの街の中を逃げられるだろう…不安でまた私の胸がきりきりと痛んだ。ならうまくいかないときのことを考えよう。マキが必要な意味をなくせばいい。それで彼女は救われる。しかも私にしかできないんだから責任は重大だ。でも、彼女のためなら私はどうにかやれそうだ。私は元からここで終わる運命だったんだ。だからもう大丈夫。私の命をつなぎとめてるのはこの呼吸器と点滴と…私にくっついている全てをはがしてしまえ。残っている全ての力を使って…それだけじゃ足らない。もっと確実な方法で…私にできるだろうか?でもやらなきゃ。悲しいけれども、絶望の中に私があるほどに神様への祈りがもっと届いてる。そんな気がするんだ。神様、ここからいなくなる前に最高の自分でいさせてください。
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