せつなく朽ちた鉄扉

雑草地帯・日記部門。硬軟色々取り混ぜて、よろず話題の書き捨て場。
なおAdsenseはgooが勝手に出してるだけ。

忘れないために、つまらなくてもあの日の事を書く。

2012-03-11 18:05:01 | 凡々日常
昨日辺りからTwitterでこんなハッシュタグが流れておりまして。

 ■#去年の3月11日なにしてた (Twitter)

だからなんだ、という内容が殆んどですが(Twitterってのは普通そういうものですけど)、こうやって落ち着いてから振り返って、短くても文章にしておくというのは大事なんじゃないでしょうか。1年経ってもはっきり答えられるくらい誰しも忘れられない瞬間だった訳ですけど、来年も、10年後も、同じように覚えているとは限りませんから。

という訳で、私もここに簡単な記録を残しておこうかと思います。
単なる自分の備忘録なのでつまんない文章だと思いますけど、あしからずということで。



2011年3月11日。金曜日。
あの日は有休消化で1日休みを取って、遅く起きた後、昼過ぎ辺りから新宿に出ていました。

3/12~13は大学時代のサークルのOBで伊豆に旅行に行く約束(俗に言う男子会ってヤツですね)になっていたのですが、突如「参加者は”戦場の絆ポータブル”とPSPを持ってくること」という特殊ルールが追加されたため(笑)、参加者で唯一そのゲームを持っていなかった私は、前日に会社休んでまで買いに行ったわけです。
古いゲームなので苦戦しましたけど、新宿ヨドバシのゲーム館で何とか見つけて、良かったこれで俺も明日からMSパイロットだと一安心しながら京王の駅まで歩いていました。

ふと、何か甘い物を買って帰りたくなって、何かないかなぁと小田急百貨店の地下1階でうろうろしていた時でした。地震が来たのは。

最初は「何だか変な立ちくらみをするなぁ」と思っていたら、そのうち猛烈な揺れが何度も何度も襲ってきて、だんだんと「地震?」「地震?!」「地震!!」なんて声がフロアに広がって言った訳ですけど、いやー小田急百貨店の対応は見事でした。まさに「訓練通り」といった感じで、教育が徹底されているなぁと関心させられる状況でした。
まず客がざわざわとしてきたら「しゃがんでください!」と店員(といっても地下の食品街だから小田急社員ではない)があちこちで客を通路にしゃがませて、揺れている間は歩かせないようにしてしまいた。
客も凄いですよね、ビルの地下1階なんて上で何かあったら脱出不可能なのに、誰一人騒がなかったんですから。やはり平日の昼にデパ地下歩いているような生活が出来るようなご婦人方は、多少は胆の据わり方が違うのかもしれません。

5分くらい揺れ続けて、揺れが収まった辺りで館内放送が。「防災センターより○○へ。○○を確認せよ。」明瞭な、ゆっくりした口調ですが、そこは命令口調。そうかー百貨店も非常時の放送は命令口調なんだ、等と変な感心をしていた記憶があります。
その後数分して、防災センターによって建物内外に危険が無いことが確認されたので(この時の放送も防災センター発でしたけど、ですます調でした)、ようやく地下一階から出られることができました。


とはいえ、外に放り出されても何ら情報が無い。
普通の地震じゃないのは分かってますから、とにかく何処が震源地かだけでも知りたい。

ということで、ここはまず帰ってテレビとネットを見なければ、と京王線の駅へ行ったんですが、まぁ当然ながら電車は全て停止中。
「運転再開は午後4時頃を予定しております」というアナウンスでしたが(実際には夜10時まで止まってましたけど)、こんなところで1時間待つくらいなら情報収集してこよう、とJR新宿駅へ向かったんです。
JRなら広域情報が得られるかも知れない、という期待があった訳ですけど、ここでの駅員のアナウンスには正直ぶっ飛びましたねー。

 「只今新宿を中心に発生した震度5の地震により……」

んなわけあるかー!
震源直上だったらあんなゆっくり何度も揺れるかー!

ああJRもまだマトモな情報が得られていないんだな、と分かった時点で、これはまずい展開になりそうだと悟りました。



このときのJR新宿駅。まだ割とみんな楽観状態。


このときほど、自分の携帯にワンセグが付いていない事を呪った日は無かったです。
それとガラケーの貧弱な情報収集能力に改めて絶望した日でした。

もう帰るのは諦めた。
とにかくテレビとネットがあればいい。何処だ。

  → ネカフェだ。

といっても新宿で知っている店が歌舞伎町のアプレシオしか無かったので、JRの西口から小走りで歌舞伎町まで行きましたよ。
このとき、途中の宝くじ売り場で流していたラジオからはっきり聞きました。

 「大津波警報、宮城県は10メートルを超える予想……」

NHKラジオだと思っていたんですが、NHKはまだ七波全中だったからTV音声のはずで、以前YouTubeで確認した見る限り、TVではそういうこと言って無いんですよね。あれは何処の局だったんだろう。


で、後は夜の1時まで歌舞伎町のアプレシオから身動き取れませんでした。
10時間程いたことになるんですけど、退屈している暇も無かったです。ずっとテレビとネットで情報を収集して、現状を把握しようとしたり、webメールで主に交通情報なんかを知人に流したりと、とにかくずっと情報を追い続けた半日でした。

しかしwebもテレビも、交通情報や帰宅困難者の受け入れ先など「あの状況下では瑣末な情報」には凄く弱かったですね。
京王線の運転再開をテレビで知ったのは11時近かったですが、駅の混雑状況とか、何処まで何本出せるかとか、一切情報が無くて困りました。ネカフェ出て駅まで行って、そこで「実は……」なんてことで路頭に迷ったらたまりませんから、迷いましたよ。

結局最後はTwitterでした。
といってもbuzztterで流れた誰かのツイートですけど。

 「京王は終夜運転」
 「全線各停で運転中」

このツイートで、夜の1時過ぎにネカフェ飛び出す決断ができました。




3/12 午前1時半頃の西武新宿駅周辺。
歩道奥に並んでいるのは、動き出した西武線を待つ人たち。
道も凄い渋滞でなかなか進まない。


こんな中、開き直って平然とラーメン食ってる人たちも。リーマン強し。


ま、ネカフェ出て気が付いたんですけどね。
ああなんだ、Tokyo FMなら都下私鉄の情報流れていたんだ、って。

歌舞伎町のアプレシオ、地下にあるもんでラジオ入らなかったんですよ。
ネカフェを選んだおかげで得られた情報もあったけれど、得られなくなった情報もあったんだなぁと、多チャンネルから情報を得る難しさを心底感じた瞬間でした。



3.12 01:32 京王新宿駅改札。誘導していた駅員が神に見えた。


結局、帰宅できたのが翌12日の3時近く。
とにかく落ち着きたくて暖かいものが欲しくて、確かカップラーメンを1個食って寝たと記憶してます。


と、以上があの日、2011.03.11の自分の状況でした。


しかし。
何年か後に、自分はこの記事を読み返すだろうか。
その時、どれだけ覚えていて、どれだけ忘れていた事に気付くんだろう。

役に立つ時が来て欲しいような、来て欲しくないような。
これまた複雑な話です。


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