天気は良好。
家から歩いていけるいつものビーチ。
大潮の干潮。
こんな日は海の中もコントラストが濃いから、海の中は最高。
アカジンミーバイ(スジアラ)。
しんごさんに貸してもらってるパラライザー(三本銛)を使い始めてから狙って魚が捕れる。ありがたい限り。
こどもはお父さんが獲ってきた魚が大好き。
こんな顔。
八丈島・慶良間諸島・西表島・沖縄本島北部の海を潜って。
そこにいる命を頂いて想う。
きれいな海、汚染されていない海の尊さと必要性。
先人達が苦労して築き上げてきたものの上に僕らがいる
感謝しなければならない。
確かにそうなのだろう。
しかし、海に潜ると。
どこの海も汚れている。
魚が減っている。
魚や貝があふれるようにいた海の話をおじい達はする。
西表でさえ魚は激減。40年前に比べればいないに等しい場所もある。
僕らは、奪われた、きれいな海を。
僕らの上の世代の欲望に、無知に。
悲惨なほどに、奪いつくされた。
自然が豊かであれば、生活もまた豊かでいられた。
海に行けば、きれいな海の魚が獲れた。
今は、農薬、生活排水、工業排水に汚された海の魚。
遠くの深いとこの魚は、個人の生活の流れの中では獲れない。
川の魚やエビ・カニ。
リーフや岩場の魚。
体にもよく美味しい物が、壊滅的なほどに汚されてしまった。
海に潜るたびに思う。
人は、人が作った価値観や仕組みの上での喜びよりも
地球の生命としての喜び。
自然の中で得られる喜び。
のほうが人生を豊かにするのではないか。
あなた達がやってしまったことは、悲しすぎる。
そして、僕もまた未来の子供達に顔向けできないような
生活スタイルで日々を過ごしている。
現実の社会と自分の想いとのギャップに敗北し続けている。
弱くてごめん。
変えられずにいてごめん。
何でもやれると思ってた。
世界を変えられると思ってた。
何にも出来ないまま、弱音を吐くだけ。
何にも出来ないまま汚れて死んでいく海に潜っていくだけ。
沖縄の今帰仁の海に潜ってる。
一緒に海を感じたいひと。
連絡ください。
海の青の中で潜りましょう。