2019/7/4(木) 曇/晴
井上横穴を後にして菊池則隆公の墓に行く前に、住吉日吉神社に向かうことにする。
住吉神社は菊池川水運の出発点という話と、迫原ハヤマ古墳探訪の時「農地整備の時出土した石棺を住吉さんに運んだ」という話を聞いていたので是非とも訪ねてみたかった。
そういうことで、合志川に沿って遡り住吉地区まで走る。
用水路沿いに大きな水車(写真1参照)が廻っていたので立ち止まる。
そこは住吉日吉神社(写真2参照)だった。
拝殿入り口に由緒書(写真3参照)が掲げてある。
祭神が8柱という。
由緒書(写真4参照)は、近江国滋賀郡より21社を勧請したという。
「滋賀」の名称に何かの因縁を感じる。同じく菊池川添いの和水町小田住吉神社(志賀宮)を訪ねたことがある。
境内左側に社(写真5参照)があるが、どんな神様かよくわからない。こちらが本来の祭神か。
拝殿右側に、平成28年熊本地震で倒壊した鳥居の一部(写真6参照)が建立されていた。
境内右側にはある前方後円(方)墳とも思える高まりがある。周りはほぼ平地なので、人工的な高まりと思える。その前方部(写真7参照)
後円(方)部(写真8参照)
ここが頭書の住吉神社かどうかは分からなかった。
住吉日吉神社を後にして、昼食を取るべく国道325方向に移動途中、華厳山広勝寺説明板(写真9参照)が目に留まる。
境内に入ると墓標(写真10参照)がある。
奥に小さな御堂があり中に、菊池市指定文化財観音立像(写真11参照)がある。
その左側に御本尊より大きな閻魔大王像(写真12参照)がある。
閻魔様は、誰を裁くのか?
以前、志々岐阿蘇神社を訪れた時、沢山の境内摂社を観た。
その地区内には閻魔堂があった。
ここ住吉日吉神社も8柱の祭神が祀ってあった。
思い付きの仮説だが、ご先祖を異にする人々が平和に暮らすには公平公正な閻魔様が必要だったと考えた。
昼食を済ませ、国道325から合志川沿いを国道387まで戻り、花房の坂を下り菊池川堤防道路を遡る。帰宅してから地図を見ると、国道325を北進した方が遥かに近かった。
集落が見えて来たので堤防を下り北進すると、佐保川八幡宮(写真13参照)に着いた。
祭神は応神天皇という。
説明板(写真14参照)は、初代菊池則隆公が菊之池城を築城後・・・とあり、目的地は近い。
神社から東方向に道を辿ると、小さな池(写真15参照)があった。菊之池である。
園内に入り反対側(写真16参照)からの景観。
道路側に説明板(写真17参照)がある。下の方はドウダンツツジの生垣に隠れている。
説明書は「深川村に広大なる池あり・・・池辺一帯菊花乱開して紅白爛漫たり・・・則隆公即ち名付けて菊の池と称せり・・・則隆公即ち氏を菊池と改め、その城を菊の城と称し・・・」とある。
直ぐ近くに則隆公の墓所(写真18参照)がある。
則隆公の墓(写真19参照)
文化15年(1818)に創建され、明治・大正の工事を経て現在の状態になったという。
説明板(写真20参照)では、菊池氏はこの地を拠点に早鷹天神(赤星)・老松天神(合志市広生)山崎天神(熊本市)・田口天神(甲佐町)・玉名市川崎・高瀬・津留に天神を勧請した。これは菊池氏が勧請した荘園神でもあり・・・とある。
ここで15時半、帰途に就く。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)27km→住吉日吉神社15km→菊の池27km→熊本(自宅)
所要時間7時間(実5.5時間) 総計69km 走行累計29,123km
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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