放牛石仏(地蔵)86・73・89・潮害供養塔・91体目
2021/11/14(日) 曇/晴
今朝は、目覚めた頃は雨だったが、降水確率10%の晴予報に曇天の下午前9時過ぎからポタリングに出る。
目的地を近津の放牛石仏(地蔵)85体目か谷尾崎山中の99体目を到達点として、86・73・89・91体目探訪の予定で出かける。
先ず島崎2丁目の放牛石仏(地蔵)86体目(写真1・2参照)を探訪する。
標柱説明文(写真3参照)には、「放牛は、江戸時代の初期(1670年代)に熊本の城下町(現在の新市街)に鍛冶職の子として生まれました。少年時代に父が無礼討ちにあったため、他に身寄りのなかった放牛はお寺に引き取られ僧になりました。三十年間の修行の後、非業の死を遂げた父の冥福と万民の幸福を祈るため石仏建立の願を立て享保七年(1722)から同十七年までの間に百七体の石仏を建てました。この石仏は、俗に「放牛地蔵さん」と呼ばれ地域の人々に大切にされています。」とある。
放牛石仏(地蔵)86体目を後にして、横手3丁目にある花岡山の北側崖下の湧水井戸「産女水」(写真4参照)に移動する。
目的の放牛石仏(地蔵)73体目(写真5・6参照)は、その畔に鎮座する。
標柱説明文(写真7参照)には、「放牛は、江戸時代の初期(1670年代)に熊本城下の鍛冶職の子として生まれました。
少年時代、父が無礼討ちにあって殺され、身寄りのなかった彼は寺に預けられました。
寺での三十余年の生活の後、彼は非業の死を遂げた父の冥福を祈るため、石仏建立の願を立て、享保七年(1722)から十七年までの間に百七体の石仏を建てました。
この石仏は、七十三体目で享保十五年に建立されたもので、横手の五郎も産湯を使ったといわれている産女水の横にあり、俗に子抱き地蔵とも呼ばれています。」とある。
放牛石仏(地蔵)73体目を後にして、戸坂町公民館横に鎮座する放牛石仏(地蔵)89体目(写真8参照)を探訪する。
放牛石仏(地蔵)89体目(写真9参照)は、ガラス戸の小堂に鎮座する。お参りの人が来られたので退散する。
放牛石仏(地蔵)89体目を後にして、松尾町近津にある放牛石仏(地蔵)85体目を探訪するが、地理不案内で辿り着けなかった。
帰路の途中、百貫園で潮害供養塔(写真10参照)を参拝する。
説明板(写真11参照)には、「昭和2年(1927年)9月13日、熊本の西海上を北上した台風は、有明海の満潮、大潮と重なり、10数メートルにも及ぶ大津波となって沿岸一帯に押し寄せました。このため、宇土、飽託、玉名の3郡の住民は逃げ場を失い、413名の尊い命が失われました。
昭和4年(1929年)に、この潮害で亡くなった方々の霊を弔うため、有明海を望む垂玉にお釈迦様像の供養塔が建てられました。」とある。
潮害供養塔を後にして、取敢えず昼食とする。その後、谷尾崎山中の放牛石仏(地蔵)99体目を目指すが、途中、池上町の放牛石仏(地蔵)91体目(写真12参照)の探訪を失念していたことを思い出し、行先を変更する。
ここも所在が分からず、地元の古老にお訊ねすると、貴重なお話が聞けた。
この放牛石仏(地蔵)91体目(写真13参照)は、元は改修前の井芹川沿いにあったとのこと。昭和10年に井芹川が祗園橋付近で坪井川に合流していた流路を、現在の高橋で合流する流路に変更したとき河川を拡幅したので、その敷地ないにあったこの写真の屋敷と共に現在の場所に引っ越して来たとのことであった。
現在時刻14時半過ぎ、帰宅は15時半となった。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)21km→松尾町近津23km→熊本(自宅)
所要時間6.5時間(実5.5時間) 総計44km 走行累計43,912km
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自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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