明八橋・明十橋
2019/10/25(金) 曇
今日は、降水確率10%最高気温24°予想で曇り空、絶好の自転車日和とポタリングに出る。
午後から所用があり遠出はできないので、近場で行っていない所として国指定史跡細川家墓所妙解寺(みょうげじ)跡(写真1参照)を訪ねた。
熊本地震から3年半過ぎたが、残念ながら地震被災からの復旧が未だのようで、工事中の看板がたち閉門されている。
仕方がないので、近場の名所旧跡「明八橋」(写真2参照)を訪れる。
川岸に降りて橋全体(写真3参照)を観る。
この眼鏡橋の工作者は橋本勘五郎で、架け替え工事年の明治8年から「明八橋」と命名されたとある。
説明板(写真4参照)では、この橋には「新三丁目御門」という南北方向に棟を持つ櫓門があり、薩摩・日向街道の要衝で、番所と常夜灯が置かれていた。この門は暮れ六つには閉ざされ、厳重に警戒されていた。明治5年(1872)熊本鎮台司令長官桐野利秋の命令で撤去されたとある。
次に明十橋(写真5参照)を観る。
この眼鏡橋は、明治10年の架設で現役での使用に耐えている。
この橋も川岸に降りて撮りたかったが、全景(写真6参照)は撮れなかった。
西側のアーチに地震の被災か?一部分の石が割れている。
説明板(写真7参照)では、この橋も皇居の二重橋を架けた橋本勘五郎の築造という。
明十橋通りと唐人町通りの交差点には、重厚感のある佇まいの、大正八年建築の旧第一銀行熊本支店の建物(写真8参照)が建っている。
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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