熊本から気ままに山と自転車のブログ

和水町田中城ミニミュージアム

和水町田中城ミニミュージアム
2020/01/11(土) 曇/晴

今朝、若い頃のように立ったままで難なく靴下が履くことが出来た。
先日、先々日と連続して自転車に乗った所為か?嬉しくなって、今日も自転車に跨りポタリングに出る。
目的地は、最近出来たらしい田中城ミニミュージアムとする。

熊鹿ロードを北へ走り、県道3→県道6→県道315→県道194と北上する。
途中道の駅「菊水ロマン館」で昼食とする。ここまで自宅から2時間。
一息ついて更に1時間、北方向に道を辿り田中城ミニミュージアム(写真1参照)に着いた。


ミュージアムは、廃校になった小学校の一室(写真2参照)だった。


地面から切り取った古代製鉄炉(写真3参照)がある。
玉名・菊鹿地方の山は、風化花崗岩で出来ている。従って菊池川の河口、海浜では砂鉄が採れたろうと思われる。その砂鉄を、木炭が豊富なこの地方に運び製鉄したのではないかと考えた。
思い出したが、「河童の頭の皿は、採集した砂鉄を載せている姿」だと謂う話を聞いたことがある。そう言われれば、河童伝説のある所は鉄生産地が近い。菊池川にも河童伝説があり、河口の高瀬(玉名市)は日本刀「洞田貫」の産地である。中国山地も花崗岩の山であり日本刀「備前長船」がある。
噺は際限ないが、「河童は胡瓜が好き」という話も、製鉄従事者に火傷は付きもので、キュウリ水が火傷の治療に良いという民間伝承が形を変えた噺ではないかと考えた。
出雲の「どじょうすくい」踊りも砂鉄採集の姿だと思う。天叢雲剣も中国山地の鉄分が日本海側に流れて、その砂鉄から作られたものと思っている。


切り取られる前の現場写真(写真4参照)が掲示してある。
現場は、田中城跡がある支尾根の一部らしい。


ミュージアムを後にして、田中城(和仁城)跡へ移動する。

自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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