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熊本から気ままに山と自転車のブログ

阿弥陀如来板碑・八反原遺跡・無田原遺跡

阿弥陀如来板碑・八反原遺跡・無田原遺跡
2022/8/26(金) 曇

今日の最高気温30°湿度76~64%の予報で、久しぶりの30°予報に午前9時前から片道30km圏のポタリングに出る。
目的地は、合志市野々島の「阿弥陀如来板碑」、合生の「八反原遺跡」、大津町矢護川の県指定文化財「無田原遺跡」とする。

阿弥陀如来板碑(写真1・2参照)は、県道37の野々島交差点の一つ手前の信号を左折して西に行って右側の民地の入口にある。
標柱の説明文は、「上部に卍を刻し、阿弥陀如来坐像を線刻してある。大永三(西暦1523)年、生前に仏事を行うことで、自身の死後の冥福を祈り、後世の善処を願って建立した逆修碑。本市で最古の石造物。」とある。


阿弥陀如来板碑を後にして、合生の八反原遺跡(写真3参照)に移動する。
説明板は、弘生菅原神社の境内地の一角にある。


説明板(写真4参照)には、「本遺跡は、農業基盤整備事業の事前調査として、平成2年10月から平成3年7月にかけて発掘調査を行いました。
調査の結果、弥生時代中期(約2000年前)の甕棺9基、弥生時代後期(約1800年前)の竪穴住居跡が53軒とこれら集落を外敵から守るための環濠がみつかりました。
住居跡からは、青銅鏡(内行花文鏡)(写真6)やガラス玉、石器4,鉄器、弥生式土器が多量に出土しました。
古墳時代の遺構は、古墳194基、箱式石棺3基、土壙墓4基が確認されました。4世紀後半~末の方形周溝墓(10基)から5世紀前半以降に円墳(9基)へ変わります。古墳からは、人骨の他、カラス玉や管玉などの副葬品、武具などの鉄器、葬送儀礼の時に使った土師器や須恵器の酒器など各種出土しました(写真4)。さらに古墳5箇所の溝の中からは殉葬したと考えられる馬具を付けた馬の歯も出土しました(写真2・3)。
古代(奈良・平安時代)の遺構は、竪穴住居跡17軒も発見されました。他にも、縄文時代後期(3500年前)縄文時代晩期(2300年前)にかけての縄文式土器や斧、錐などの石器そして土偶も出土しました。この台地にある石立遺跡、八反畑遺跡、八反田遺跡、迫原遺跡(左下図)でも各時代の多くの遺構が発見されています。遅くとも縄文時代後期には人々が生活開始し、弥生時代には環濠で守られたりするなど、平安時代までの長い期間、生活の場として利用されてきたことが判明しました。
古墳時代の馬具のくつわは九州では初期のもので、馬の埋葬なども含め渡来的な要素が色濃い特徴があります。この遺構は、当時の集落の形態や古墳の変遷などを伺い知れる貴重な遺跡です。上生上ノ原遺跡では、石棺から短甲や馬具が出土しています。以上の現象からこの地域では、朝鮮半島の渡来文化が認められ、中央政権との強い結び付きがあったと考えられています。」とある。
出土物は、合志市歴史資料館に展示されているようだ。


八反原遺跡を後にして、大津町の無田原遺跡(写真5参照)に移動する。
合志川沿いの県道を東進し、国道325を横断し矢護川沿いを片川瀬まで遡る。片川瀬から県道23を北進し、湯船溜池方向に右折して台地上を東進すると右側に遺跡はある。


全体が遺跡地と思われる広い空き地があり、その中央の一段高い所に遺跡の復元レプリカ?と思われる集石遺構(写真6・7参照)がある。


熊本県の説明盤(写真8・9参照)には、「鞍岳のなだらかな丘陵地には遊水地が多く、縄文時代から歴史時代にかけての遺跡が数多く分布する。その中でも丘陵西側に位置するこの遺跡は数少ない縄文早期の遺跡として知られている。昭和48年の発掘調査により、押型文土器や条痕文土器を伴う8基の集石遺構が発見された。周囲に大きな石を並べ、その中に小さな石を集めた直径2mほどのもので、墓か祭りの跡と考えられる。また、この集石遺構に接して、弥生前期の16基の甕棺も出土した。同一遺跡に集石遺構(縄文時代)と甕棺群が残っていることは極めて少なく、貴重な遺跡である。」とある。


大津町の説明板(写真10参照)は、文の内容が県のものと異なるので町の説明板も転載する。「鞍岳の麓であるこのあたりは古くより人の住む所であり、縄文から古墳に至る数多くの遺跡がみられ、その密度は県下でも類をみないほどである。
この地は、昭和48年春発掘調査を行い、縄文早期に属する集石遺構と弥生前期の甕棺墓群を発掘した。遺構は19基発見されたが遺構の広がりは南北80~90m、東西300mにわたり実数はもっと多数に及ぶと推定される。
この種の遺構は北海道、東北地方に多くみられ、九州で八消されたのははじめてである。年代も同じ地層からでている押型文土器から考えると日本最古のものとなる。
このようなことから大変めずらしい遺構であるが、まだなぞに包まれた部分が多く今後の研究にまたねばならない。しかし、いずれにしても古代人は石にたいして特別な関心を有していたことがうかがえる。」とある。
現在時刻12時半だいぶ暑くなったが、標高210m地点からの下り基調の道程に多少は心救われたような気分で帰途に就く。


15時に帰宅する。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)32km→無田原遺跡32km →熊本(自宅)
所要時間6時間(実5.5時間) 総計64km 走行累計50,437km

自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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