熊本から気ままに山と自転車のブログ

永田支石墓・藤尾支石墓群

永田支石墓
2020/3/3(火) 曇

今日の天候は曇、最高気温予想は16°、午前12時半ポタリングに出る。
目的地は、合志市竹迫城見張所跡とする。

往路は先日とほぼ同じ。県道30を、二子山石器製作跡を右手奥に眺めながら東進していると、左手に「永田支石墓」の案内標識が目に留まる。
早速案内標識に従って左折すると、左手に永田支石墓(写真1参照)はあった。


説明板(写真2参照)は、道から見える位置に立っている。
「支石墓は北部・中部九州に限られ、朝鮮半島南部を含めた分布圏を形成している」とある。
古代倭国が海峡国家であったという説が正しければ、この支石墓圏と重なるのではなかろうかと考えた。



藤尾支石墓群(県指定史跡)
2019/2/11(月) 曇

今日は午後から晴れとの天気予報に期待して、午前からポタリングに出る。
(結果、一度も太陽を見ることなく寒い一日だった)
熊鹿ロードを逸れ、鐙田から明徳、野々島と走り、泗水町からは合志川堤防道路をひたすら遡る。
旭志町の中心地辺りでお腹が空いてきたが、市街地を避けて走って来たのでコンビニもない。国道325まで引き返すには、時間が勿体ない。
そういう訳で、目的地菊池市旭志弁利の熊本県指定史跡藤尾支石墓群(写真1参照)まで走る。


が、現地は藪の中、たぶん藪の中だろうと思う。
それとも、この道を造成した時に発見され、調査の記録としての標柱なのか。
仕方がないので、標柱と説明板を写真(写真2参照)に収め、現地を離れる。


説明板(写真3参照)では、支石墓は半島由来の埋葬施設で菊池川流域に多数分布しており、宇城地方、天草地方にもあるという。
植木町上畠支石墓の説明場板とは齟齬がある。


自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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