2022/3/9(水) 晴
今日の最高気温予想16°今日も快晴。市立図書館で本を借り換え、そのまま南方向へポタリングに出る。
目的地は、熊本市富合町木山、宇土市古保里、帰り道に熊本市古町の各六地蔵とする。
往路は、市立図書館から薬専通りを走り流通団地を目指す。途中、熊大薬学部構内にたムラサキハナナ(写真1参照)が咲いていた(ハナダイコンと同種、別種両説あるが、葉が広いのでムラサキハナナと思う)。流通団地から釈迦堂橋を渡り、ほぼ一直線で木原に至る。

最初の探訪地は、熊本市富合町木原の六地蔵。六地蔵(写真2参照)は、県道38と木原不動尊参道の交差点角に鎮座する。
六地蔵幢身は、基部が極端に細くなっている。風化もあるだろうが、石粉を取るために穿ったためと思われる。

龕部(写真3参照)の仏像は、龕部高の半分程度に座像か胸像が見えるが、風化のためか形が不鮮明になっている。

木原六地蔵を後にして、ブログ「くまもと自転車紀行」の地図を頼りに、古保里(こおざと)の六地蔵に移動する。六地蔵(写真4参照)は、屋敷内に鎮座している。
今回も辿り着けないのかと不安いっぱいで訪ねた所だったが、幸い隣の方が作業中だったので聞いてみた。「この辺りに六地蔵尊はありませんか」「知らん、天神さんならあるばってん」「龕部が馬門石でできとらんですか」「あれは馬門石じゃなか、東陽村の石と思う、昔は祭りばしよった」とのやり取りが続き、教えていただいた。
「天神さん」と言われれば、「天族の末裔を名乗る豪族を祀ったもの」との解釈もできる。龕部と思っていた赤石部分は塔身で、梵字が彫られている。五輪塔にも見えてきた。

説明板(写真5参照)には、「古保里の六地蔵は、宇土市古保里町の・・・邸内あります。本来は庭の西寄りの藪の中にあったものを、・・氏の先代が現在の場所へ移したといわれています。
この六地蔵は完全な形ではなく、六つの地蔵が彫られた「龕部」のみが残っており、その他の部材は所在不明となっています。六地蔵以外の石塔は、宝塔塔身と五輪塔の水輪で、本来の組み合わせではない石材が混在した状態で積み重ねられています。
全体の高さは七三cmで、一番下水輪、真中に塔身、一番上に六地蔵の龕部がのっています。龕部に彫られた年号から、応永二八年(1421)二月に造られたことが分かり、県下で最も古い六地蔵です。
本来、この六地蔵は街道沿いに建てられていて、安全を祈願するための守護仏としての役割があったと考えられます。」とある。

古保里六地蔵を折り返し点として、熊本市古町の六地蔵に移動する。
ここの六地蔵(写真6参照)は、放牛石仏探訪のとき拝したことがあったが六地蔵であることをすっかりわすれていた。平成十五年建立とある。

17時半帰宅する。今日も無事だったことを天に感謝する。ウクライナに平和が訪れますように!
熊本(自宅)25km→古保里六地蔵22km →熊本(自宅)
所要時間5時間(実4時間) 総計47km 走行累計46,393km