2018/10/28(日) 晴
昨日県立装飾古墳館でリーフレットを頂き、今日が古墳開放日であること知る。
熊鹿ロード~県道31~国道208~玉名大橋へと走る。
繁根木川と菊池川に挟まれた稜線の南端に位置する県道4脇に諏訪神社がある。
諏訪神社から北へ2~3km走り橋(写真1参照)を渡れば石貫地区。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/b1/ad1c98f1693494fb0f4139ecc1e4dd81.jpg)
まずは、石貫ナギノ横穴群の最初の横穴(写真2参照)。
羨門部が明瞭に残る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/de/322394b66c4ff16128ff060c90be5b3c.jpg)
内部(写真3参照)正面に石屋形風の彫りこみがある。
両脇にも屍床がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/e3/4d2416137f84789411df054fc8a2700a.jpg)
前面が崩落している横穴(写真4参照)
腰壁とドーム状の天井と、居住空間とも思える横穴である。
前面が崩落しているのは、隣の横穴より古いのか?
屍床のある横穴に対する殯屋だったか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/20/7ce4b90386ff970b956bf7429cc48c5b.jpg)
横穴が並ぶ(写真5参照)
赤い顔料が残る羨門部が見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/2a/c751117d7984d3db571102d42b32b7ba.jpg)
写真7の右側の穴、左側に赤い同心円(写真6参照)が見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/72/e8c262ce592125eba58162e4815790de.jpg)
赤い顔料の同心円紋が鮮やかに残る穴(写真7参照)
硬い岸壁を穿つには、硬い石ノミと技術がいる。
文化度の高さが窺われる
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/88/b95462fb2885331a365aae40774103e0.jpg)
見事な石館の彫刻と、コの字形の屍床が配置された穴(写真8参照)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/fc/b43148be60fc230478718f2e20f06fa8.jpg)
高い屋根形の石屋形、ドーム状の天井と腰壁を模している穴(写真9参照)
現実の生活空間を模したものと思うが、1500年前のものかと思うとその完成度の高さに驚愕する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/ef/9f8c74ea7ec35dd3188c366048e716d4.jpg)
国指定史跡「石貫ナギノ横穴群」には、48基の横穴があると説明板(写真10参照)にあった。
初めての訪問ではないはずだが、その数量、造形美の見事さに圧倒された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/66/d1394adc277fffa43dfcec1a24980ec8.jpg)
石貫ナギノ横穴群
2015/3/21(土) 晴次は、西方向へ5kmほどの所ある「石貫ナギノ横穴群」へ。
繁根木川右岸の丘陵、凝灰岩の崖面250mにわたり48基の横穴が確認されている。
6世紀中頃の築造という。
飾縁の彩色が残る8号墓(写真1参照)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/10/01f02ec8fd900acf5cdbc9e1f47d5880.jpg)
横穴内の石屋形(写真2参照)
1500年の風雪を耐えて残っていることは凄いことと思う。ナギノ横穴群を後にして、穴観音横穴に移動する。
石貫ナギノ横穴墳の場所:(マップファン地図)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/d9/cd1ab6cb2d38ddd8154c0b529f99aab5.jpg)