2015/3/27(金) 曇
天候は曇だが雨の心配は無用のようなので、宇土市立岡公園までポタリングに出る。
公園駐車場入り口の左手前に、「楢崎古墳」の標識を見て上る。
古墳は、池を見下ろす位置に在る。
5世紀中頃の前方後円墳(写真1参照)で、宇土地域では数少ないという。
塚頂には保存建屋があり、後円部に3基の石棺と1基の石蓋土壙(写真2参照)、前方部に1基の組合せ式箱形石棺が発見されたという。
説明板(写真3参照)は北側ある。
楢崎古墳の場所:(マップファン地図)
古墳を下り、国道3経由で帰途に就く。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)30km→宇土市立岡公園25km→熊本(自宅)
所要時間5時間(実4時間) 総計55km 走行累計10,627km
晩免古墳
2015/12/24(木) 晴/曇
今日は、夕方から雨模様の予想のため、帰途に就く時間を早めとするべく午前中からポタリングに出た。気温は温かく、快調に走行。目的地は、宇土・松橋方面。
国道3を南下。宇土市立岡町の晩免古墳に立ち寄る。
安徳天皇陵伝説(写真1参照)により宮内庁管理の古墳となっている。
古墳登り口に御堂がある。
祭祀の主は、11面観音立像(写真2参照)
古墳の守護神として建立されたものと思う。
晩免古墳 の場所:(マップファン地図)
潤野3号墳
2015/12/26(土) 曇
国道3バイパスに出て立岡町の晩免古墳の森を眺め、その南に同じ標高、同じ樹種の森を探すとそれらしい稜線が目に留まる。
コインランドリーの駐車場から見るとそれらしい登り口(写真1参照)があった。
雑木の山を少し登ると、平坦な所がありその上に小さな高まりが見える(写真2参照)
ほぼ確信に変わり更に登ると石碑が見えた。
家形石棺の発見が明治16年のこと。
石棺は蓋石が破壊されており、長辺に二個ずつ縄掛け環がある。装飾は身の内側西壁に造り出しの突起が二個あり、その上に鋸歯紋、間に二個の円紋、下に二個の円紋が線刻されている。また北壁には三個の円紋が並んでいる。(HP大和國古墳墓取調室)
その後石棺を埋め戻し、史跡の保存と存在を明確にするためこの石碑(写真3参照)を建てたものと思う。
宇土市は、元細川藩の支藩にて藩士教育にも熱心で、その文化度の高さが史跡に対する理解も深く、残存史跡の多さに繋がっているものと思う。
潤野3号墳の場所:(マップファン地図)
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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