補陀落渡海碑並びに宝塔塔身
2021/7/14(水) 晴/曇
私が住まいする熊本地方は、梅雨明け宣言がなされた。今日の天気予報は晴れ時々曇り、午前降水確率20%、午後30%、最高気温予想34°だった。
大谷翔平選手が出ているテレビを見ていたが、午前10時頃に曇時々晴に予報が変更になった。ここ一週間自転車に乗っていないので、曇り空であれば、多少暑くても自転車が良いだろうとポタリングに出る。
事前に地図上でチェックしていた所を周回するが分からず、一番分かり易いと思える稲荷神社に移動する。がここでも分からず「補陀落渡海碑並びに宝塔塔身」(写真6参照)を見る。
宝塔塔身(写真7参照)は、文永四年(1267)の銘がある。正面には二つの仏像が刻まれている。
補陀落渡海碑並びに宝塔塔身・南出観音堂
2018/11/3(土) 晴
先週の古墳見学に続いて、再度玉名市を訪ねる。
目的は、玉名市歴史博物館こころピア。
が、博物館は地震被災の復旧が終わらず休館中。博物館を後にして、繁根木八幡宮近辺を散策する。
墓地の奥、稲荷神社の前に玉名市指定重要文化財「補陀落渡海碑並びに宝塔塔身」(写真11参照)がある。
説明板(写真12参照)によると、補陀落渡海とは海上にあるとされる観音信仰における補陀落浄土を目指して往生(船出)することという。
永禄11年(1568)11月18日に下野国弘円上人、駿河国善心、遠江国道円らが補陀落渡海したのにちなみ、西光坊が施主となって建立したものという。
現存の補陀落渡海碑は全国に3基だけであるという。
JR玉名駅の方に移動し、南出観音堂(写真13参照)に立ち寄る。
説明盤(写真14参照)では、観世音菩薩、春日大明神、加藤清正公が祀られているとある。
南無妙法蓮華経 正徳六丙申年(1716)碑があるという。軽々には判断できないが「清正公」信仰の広がりの碑文とも考えられる。清正公信仰は、江戸時代中期に京都本圀寺を中心に広まったようである。
高瀬船着場に立ち寄り、帰途に就く。
繁根木稲荷山古墳
2015/6/28(日) 晴
梅雨の晴れ間の今日、ポタリングに出る。
10時半出発、
江田船山古墳公園側の「菊水ロマン館」に立ち寄り、川沿いの芝生広場(写真1参照)の東屋で弁当を開く。
建物左手の噴水広場では、小さい子どもたちが水遊びに興じている。
「ロマン館」を後にして、玉名市に向うが、その前に道路左手に「松坂古墳」を探すが見当たらない。
県道から広域農道に右折し、岱明町開田の「院塚古墳」を目指す。
途中から玉名バイパスに出て、事前調査情報の場所に古墳を探すが、地図表示位置には太陽光発電パネル並んでいて、それらしいものはない。
帰宅して、他のブログを見たところ、石棺は県立古墳館にあり、古墳は消滅しているとのこと。
写真付きだから間違いない情報と思う。
帰りのついでにもう一件「繁根木稲荷山古墳」(写真2参照)に立ち寄る。
稲荷山古墳は前方後円墳で、写真右手墓所になっている所が後円部。
中世に寿福寺が建てられたとき削平されたとある。
前方部は写真左手で、昭和37年に公用地を整備するとき削除したので防備録として銅版プレートを作製したとある。
繁根木稲荷山古墳の場所:(マップファン地図)
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)25km→持松塚原古墳28km→院塚古墳31km→熊本(自宅)
所要時間8.5時間(実7時間) 総計84km 走行累計12,145km
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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