2021/10/29(金) 晴
風は少々強めだが最高気温予報23°と快適な気温に、午前10時前からポタリングに出る。
目的地を、荒尾市府本の崇善寺跡古塔群と、荒尾市荒尾の月田蒙斎の墓とする。
熊鹿ロードを北進し、県道31、国道208と走り、玉名大橋で菊池川を渡り、再度国道208に出て、金山から右折して行末川沿いのケイトウの花咲く田圃道を走る。
府本小学校の前で県道124に出て北進すると、府本宿町(写真1参照)に着いた。
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府本宿町交差点を左折すると、正面に府本熊野宮(写真2参照)が鎮座する。
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境内左側に「宿町御免の碑」(写真3参照)がある。
標柱説明文には、「府本宿が享保元年(1714)免許されたことを喜び大・・・一字ずつ写経し地中に埋め経塚を作りその上に石塔をたて宿の・・・」とある。近くに御成門がある。
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境内右側に立派な宝篋印塔(写真4参照)がある。詳細は分からない。
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熊野宮を後にして、崇善寺跡古塔群(写真5参照)に移動する。
奥のケイトウの花が咲いている所が宗善寺跡。
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広い敷地に点々と古塔(写真6参照)が見える。
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説明板(写真7参照)には、「崇善寺は、一五七九(天正七)年に肥前の龍造寺隆信が小代氏を攻撃したとき、梅尾城とともに焼失した。当時は寺城であったと思われる字乱塔(現在地)には、十一基の墓塔(無縫塔二基、五輪塔五基、板碑四基)が残されている。
いずれも戦国末期の一五七一(元亀二)年から一五八〇(天正八)年頃にかけての墓石で、その法名名からみて、小代一門の人達の墓塔と考えられる。なお、五輪塔⑤については、市指定に伴い隣地から移設しました。・・・」とある。
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南西方向からの景観(写真8参照)
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崇善寺跡を後にして月田蒙斎の墓(写真9参照)へ移動する。
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標柱説明文(写真10参照)には、「月田蒙斎は一八一〇(文化七)年、野原八幡宮神官を代々務める荒尾村月田家の長男に生まれた。藩校「時習館」で学んだ儒学者であり、宮崎八郎などがいる。郷土の人材育成に尽力し、一八六六(慶応二)年に六〇歳で亡くなった。墓碑は坂を上がった先の月田家墓地の中にある。」とある。
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月田家墓所入り口付近(写真11参照)
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蒙斎の墓塔がわからず、一番大きく風情のあるもの(写真12参照)を撮って来た。
この墓塔の上部に「月田先生道昹之墓」とあり、亡くなられて名前を変えられたかと思ったが、帰宅して調べたら、この墓塔の右後ろの頭部が庇状になっている比較的小ぶりのものが蒙斎先生の墓石のようだ。先生と刻んである墓石が4・5基あった。結果、探訪としては失敗だった。
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現在時刻14時20分帰途に就くが、久しぶりの日没との競争になった。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)45km→月田蒙斎の墓43km→熊本(自宅)
所要時間7.5時間(実6.5時間) 総計88km 走行累計43,678km