2022/8/23(火) 晴/曇
今日の最高気温33°湿度70~60%「危険な暑さ」の予報だが、体調次第でリタイヤするつもりで午前11時前から片道20km圏のポタリングに出る。
目的地は、まず「くまもと自転車紀行」「のぶ」さん情報の須屋の「千人墓」を見て、合志市の「黒石原(飛行場)奉安殿跡」、菊池市泗水町の「花房飛行場跡」とする。
千人墓(写真1・2参照)は、国道3北バイパス下り側道の電鉄踏切の先の民地にある。
須屋区のホームページには、「安土桃山時代、天正13年(1585年)島津が九州制覇のため肥後に怒涛の如く大挙進行し合志と戦いを交えた。
須屋城の須屋市蔵隆正率いる一族は合志軍勢諸々の武将などとともに島津軍と応戦したが敗退する。その時の戦死者を塔の木というところに葬り塚を造り供養した。名前から察して相当の人々がなくなったことがうかがえる。
現在の当主、杉本利治氏の祖父杉本末時氏の所有地に昭和25年(1950年)に建立され、碑面には「千人墓」杉本時末建之と記名されているが文献には千人塚となっている。」とある。
千人塚を後にして、「黒石原(飛行場)奉安殿跡」、「花房飛行場跡」へ移動する。
須屋の鉄炮塚碑
2022/8/21(日) 晴/曇
今日の最高気温35°湿度80~70%「危険な暑さ」の予報に、午前10時前から午前中の帰宅予定でポタリングに出る。
目的地は、熊本市中央区坪井の「本光寺笠塔婆の塔身」と須屋の「鉄炮塚碑」とする。
本光寺を後にして、国道3を北進し坪井川の堤防道路から合志市須屋と熊本市北区新地の境界辺り、国道3北バイパス下り側道の「鉄炮塚碑」(写真4参照)に移動する。
須屋区のホームページに、「ここより東南約30メートル付近に存在したこの塚は平成10年、県の発掘調査により南北朝時代からの陣屋等の後と推定されている。新地口伝によれば、古来当地は地方豪族による争奪が、天正13年(1585年)には薩摩島津勢によって須屋一族が滅亡した。江戸時代は細川藩は当地を鉄砲の射撃訓練に使用し、以来この塚は人々から鉄炮塚と呼ばれるようになった。平成11年国の道路整備事業によって、この一切が口伝とともに消滅するのを憂い、当地の歴史を後世につたえるべく、ここに記念碑を建立し継承しようとするものである(記念碑の裏面の文章より)」とある。
以前、「黒石の地筒鉄炮射場跡」を探したことがあったが探し出せなかった。合志市のホームページには、黒石の地筒鉄炮射場跡について「寛永13(1636)年、豊後街道と菊池往還の間に5ヶ所の地筒(鉄砲隊)が配置されました。黒石の地筒はその一つで、普段は農耕に従事しながら、月に5日ほど熊本城内で業務にあたりました。・・・」とある。同じような歴史を持つであろうと推定するこの地を是非とも訪れてみたいと思っていた。午前11時帰途に就く。
12時前に帰宅する。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)13km→須屋鉄炮塚碑8km →熊本(自宅)
所要時間2時間(実2時間) 総計21km 走行累計50,367km
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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