2022/8/27(土) 晴/曇
今日の最高気温32°湿度50%台の予報に、風は涼しかろうと午前11時からポタリングに出る。
目的地は、熊本市北区の「服部(はらぶ)の五輪塔」、玉名市の「山部田六地蔵」とする。
熊鹿ロードを北進して、北区植木町豊田の熊本市指定文化財「服部の五輪塔」に向かう。五輪塔は、8月18日に探訪したが辿り着けずリベンジ探訪である。
説明板の所(下記8月18日参照)から左側へ廻ってみたが、背丈を越す草で辿り着けそうにない。そこで右側に廻り竹山から土手をよじ登り、やっと五輪塔(写真1参照)に辿り着けた。
熊本地震による倒壊と思うが、これが熊本市指定文化財か?と無残な状態だった。地震から6年が経って未だ復旧の予算が手当てできないのか?文化財が滅失するのは忍びないが、これでは指定解除したほうがましだろう。
説明板(写真2参照)には、「凝灰岩で作られている五輪塔であり、地輪は大きく四つに割れ、小片を多く欠いている。塔の現在の総高は約一八七センチ。空風輪は一石で造られている。
空輪の頂部はとがらない。風輪は大破していて側線の一部を残すだけである。火輪は軒の最大幅七九.五センチ、軒裏に軒に沿って太い沈線を四方に彫り込んである。水輪は最大径が六四センチ、側線は、上下ともに強く肩の張った立ち型につくり、下部径がわずかに小さく、下すぼみになっていて、四方に径三三.五センチの月輪内に「□」(キリーク、阿弥陀如来の種字)と薬研彫りにしてある。地輪は割れているが、幅は約七六センチ、側面の高さ約四○センチ、その一面に各一行ずつ銘がある。
□治元年乙亥十月十八日入滅
□丘尼寿阿弥陀仏□年五十七
と陰刻してある。年号に欠字があるが□治元年乙亥は、建治元年(1275年)と考えられる。紀年銘が入滅年月日であるので、正確な建立年はわからないが、建治元年十月十八日に五十七才で亡くなった。寿阿弥陀仏の極楽往生を願って、入滅後そう遠くない頃に建立されたものであろう。付近には、五輪塔の残欠、宝塔の残欠などがある。」とある。
「服部の五輪塔」を後にして、山本橋休憩所までバックして休息する。このまま帰宅するかとも思ったが、服部の五輪塔に落胆したので「山部田六地蔵」を探訪することにする。
県道3を北進して日平から山部田に下る。
山部田六地蔵(写真3・4参照)は、googleストリートビューで検索して来たので迷うことなく到着できた。
六地蔵龕部(写真5参照)は、風化が進んでいる。
建立年月が確認できないかと幢身を見るが、「願主」他2・3字は読めたが後は判読不能だった。
現在時刻15時前、木葉経由で帰途に就く。16時頃から曇り空になり湿度もまして暑くなった。
17時に帰宅する。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)37km→山部田六地蔵23km →熊本(自宅)
所要時間6時間(実5時間) 総計60km 走行累計50,497km
服部の五輪塔
2022/8/18(木) 晴/曇
今日の最高気温予報は29°湿度が70~80%と昨日までに比べると涼しいので、午後16時前からポタリングに出る。
目的地は、3時間以内に帰宅出来る片道20km圏内の、熊本市北区楠野町の市指定文化財「平井宮庚申塔」、植木町豊田の市指定文化財「服部の五輪塔」とする。
平井宮庚申塔を後にして、服部の五輪塔に移動する。説明板(写真4参照)は、直ぐに分かったが、塔身が見えない。
塔身はこの説明板の後ろの崖上か、右側の踏み分け路の奥かだろうと見当をつけ少し入ってみたが、雨上がりでもあり長靴でも履いていなければこの竹藪には入って行けそうにないので、今日のところは諦めて帰途に就く。
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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