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熊本から気ままに山と自転車のブログ

仁王さん通り・立町界隈・本光寺の笠塔婆の塔身

本光寺の笠塔婆の塔身
2022/8/21(日) 晴/曇

今日の最高気温35°湿度80~70%「危険な暑さ」の予報に、午前10時前から午前中の帰宅予定でポタリングに出る。
目的地は、熊本市中央区坪井の「本光寺笠塔婆の塔身」と須屋の「鉄炮塚碑」とする。

熊本県指定重要文化財「本光寺笠塔婆の塔身」は、国道3浄行寺交差点の北の本光寺境内にあるとのWeb情報を頼りに坪井4丁目の本光寺に寄る。山門左側に熊本県の標柱(写真1参照)がある。


山門から本堂右側塀際の庇の下に石塔と説明板が見える。失礼して境内に入り「本光寺笠塔婆の塔身」(写真2参照)を観る。


説明板(写真3参照)には、「本光寺は、山号を明亀山と称する日蓮宗寺院で、承応元年(1652)創建された。この笠塔婆は、寺伝によると「幸福を呼ぶ供養塔」と呼ばれ高さ2.4mある。
県指定の笠塔婆の塔身は、凝灰岩でつくられた下の角柱の部分である。高さは95cm、表面に朱色の痕跡が見られ、四方には四仏の梵字が彫られている。正面の阿弥陀の梵字の下には安元元年(1175)の銘があり、在銘の笠塔婆では日本でも最古の部類に属する。
なお、四重の笠は多層塔の笠、丸い石は五輪塔の水輪を後世転用したものである。」とある。


本光寺を後にして、国道3を北進し、合志市須屋と熊本市北区新地の境界辺り、国道3北バイパス下り側道の「鉄炮塚碑」(写真4参照)に移動する。


仁王さん通り・立町界隈
2018/10/1(月) 晴

台風一過の晴天の下、随分と涼しくなった風を受けてポタリングに出る。
今日は坪井町界隈を散策する。
電鉄藤崎宮駅前広町交差点から北へ延びる通りを通称仁王さん通りという。
この通りに大きな楼門と仁王像があることは知っていたが、いつもその前を横目で眺めて通るだけなので、今日はじっくりと観賞しようと訪ねる。
楼門(写真1参照)の扁額は、「八幡山」とある。神仏習合の名残か?


仁王さん阿形像(写真2参照)に正福寺の文字が見える。


仁王さん吽形像(写真3参照)に平成19年と奉寄進の文字が見える。
記憶にあるのは木造の仁王像で、もっと怖い形相をなさっていたような気がするが・・・。
少し優しいお顔になられたような・・・。時代の気分を反映するのか?


仁王さん通りから、浄行寺方向に右折すると立町通り。
立町は、熊本の城下町を造るに当たって山崎町から集団移転して造られた町であると記憶しているが・・・今一つ自信がない。
その立町通りから北へ延びる道に、大きな赤い鳥居(写真4参照)がある。
ここも日頃は通り過ぎるだけで、立ち止まって見たのは今日が初めてである。
扁額は「立田口大神宮」とある。


通りの左手に社(写真5参照)がある。ここが立田口大神宮。


由緒書(写真6参照)には、南北朝以前に御鎮座あらせられ創建年代は不詳という。


この通りを更に北に進むと、見性禅寺の望楼を思わせる鐘楼がある。
その先の必由館高校入り口左手に必由堂跡の石碑(写真7参照)がある。


標柱に説明書(写真8・9参照)は、藩校「時習館」設立と同時に、米田家が家塾「菁々舎」を設立し、家臣子弟教育を行った。
「菁々舎」は、天保5年(1834)米田是容が拡充し、名を「必由堂」と改めたとのこと。
米田是容=長岡是容(通称:監物)は、幕末の細川藩家老職を務める(ウィキペディアより)



肥後の教育、文化度の高さを伺わせる。
必由堂には、大日本帝国憲法や皇室典範、教育勅語、軍人勅諭などの起草に参加した明治の官僚、政治家「井上毅」も学んだ。

この後は、旧57号線を東に走り、菊陽町の農産物直売所、菊陽町図書館に立ち寄り郷土関係資本を少し読んで、帰路に就く。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)18km→菊陽町図書館17km→熊本(自宅)所要時間4時間(実2.5時間) 総計35km 走行累計25,765km


自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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