2017/1/30(月) 晴
立福寺町を後にして、桜の季節の陽気に、植木町の笹尾の枝垂れ桜を思い出し立ち寄り、健在を確認する。
その後は、円台寺から農免道路を轟地区へ走る。
道は、下り坂と登り坂が連続する所で、いつもここは一気に走り抜ける所。
が、今日は、看板(説明板)(写真8参照)が目にとまり立ち寄る。
ここ轟神社の拝殿の彫刻(写真9参照)も見事だ。
下は鳳凰?で、上は龍か?
神社の壁の彫刻は、誇れる日本の美術品だと私は思う。
祭神は確認するのを忘れた。鳥居の写真も撮り忘れた。
調子が良くなって来たので、後は国道3を横断し岩野山の東側を廻り、山鹿市夢大地館まで走る。
そこでエネルギーを補給し、一休みして帰途に就く。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)33km→夢大地館22km→熊本(自宅)
所要時間4.5時間(実4時間) 総計55km 走行累計19,373km
轟地蔵尊(轟今古閑久保遺跡?)
2016/3/1(火) 晴
気温は10度に届かないようだが、天候は晴。午前11時の出発。
池田から京町台を超え、打越町の坪井川河畔まで下る。
坪井川沿いを進み、川筋も終わり改寄から台地上に上がる。
植木町北区役所前交差点で信号待ちしているとき、前輪の空気圧が低いことに気付いた。
一瞬パンクか?と慌てて自宅方向に走ったが、乗れないほどには減圧していないのでパンクではないと判断し、行先を変更し田原坂資料館まで走ることにする。
田原坂公園に行く道を間違えて、1本南を走る。
すると、大きな石が見えた(写真1参照)。
道路から見る(写真2参照)と塚のようである。
祠を覗くとお地蔵さま(写真3参照)が御座る。
一瞬石人かと思ったが、お地蔵さまである。
ただし、相当に柔らかい石材で造ったようで、御顔は判然としない。
古墳石棺材で造ったか?お地蔵さまの足元には訳ありと思われる石がある。
道を挟んでもう一つ祠がある(写真4参照)。
こちらも古墳石室の構造材と思える古い石がある。
近くに墓所があり、ここら辺りが聖地であることを意味している。
近くには、弥生時代中期の甕棺墓が発見された轟今古閑久保遺跡がある。
祠の改築が昭和36年とあるので、1958年銅矛が4本発見された場所の出土物をここに纏めてということか?
Web上では検索できなかったが、古代史跡であることは間違いないと思う。
古墳と思える場所:http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E130.40.12.9N32.53.24.7&ZM=10 ;
経路を修正して田原坂資料館に着く。
建物左手に木葉山が見えてなかなかのロケーションと思う。
新資料館になってから初めて入る。
日本最後の内戦という同胞同士の戦いの記録と、日本赤十字の発祥に繋がる戦であったというテーマ館である。
帰路は農免道路から県道31を走り、井芹川沿いの熊鹿ロードを帰り、結果坪井川、井芹川の上流側を周回したことになった。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)25km→田原坂資料館17km→熊本(自宅) 所要時間5時間(実3時間) 総計42km 走行累計15,668km
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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