立福寺伊弉諾神社
2017/1/30(月) 晴
19日以来、自転車から遠ざかっていた。
若い時は、モヤモヤ程度の風邪は山行でもしてひと汗かけば1日で治ったものだが、そうもいかなくなって静かにしていた。
が、今日は気温も高く太陽は明るいので、午後からではあるがポタリングに出た。
出発は午後0時半、目的地は北部方面。
熊鹿ロードを北に走るうちに、立福寺町の伊佐奈伎神社(写真1・2参照)を思い出し立ち寄る。
立福寺町の南の台地上の川東地区は、大巳貴神社がある。
両社何れも競うような存在に思えた。
境内の奥に祠がある(写真3参照)。
古代の横穴墳跡でこちらが本来の祭神か?
その下には湧水穴がある。
水は境内の下の池(写真4照)に溜めてある。
干ばつの年は僅かの湧水でも貴重な存在。大切にされて来たものと思える。
神殿の正面の壁の彫刻は龍(写真5参照)。
右の壁は犬か、兎か?(写真6参照)
左の壁はラクダに見えたが麒麟か?(写真7参照)
この地区のご先祖の伝承を伝えるものか?
川東御堂
2016/9/17(土) 曇
工事中の西回り高規格道路を橋で越えて、赤水地区から少し下り川東地区へ上り返して、川東バス停の傍に御堂(写真1参照)がある。
阿蘇溶結凝灰岩製の墓石がある。この石にこの御堂の謂れのヒントがあると思うが・・・。
右の御堂は、薬師如来坐像(写真2参照)
左の御堂は、神様の木座造(写真3参照)
川東地区には、金剛寺も有る。きっと文化度の高い地域と思う。
川東大巳貴(おほなむち)神社
2016/8/30(火) 晴
北区川東大巳貴神社までポタリング。
目的地は先日から気になっている川東大巳貴(おほなむち)神社。
熊鹿ロードを北へ走る。赤水地区から台地上へ上がり、川東地区に向かう。
地図上では、川東大巳貴神社(写真1参照)は庄地区の西側の丘の上にあるので、川東地区の台地の東側の縁を目指す。
道が整備されているので、比較的簡単に到着した。
鳥居に掛けてある扁額(写真2参照)も読みやすい書体である。境内は広い。
大巳貴命=大国主命と言われているが、古田武彦著「盗まれた神話」では、「沿海州オロチ族の言葉でオウ=海、ナ=大地、ム=主、チ=神、オウナムチ=海と大地の主神」とある。
勧請して建立したものか、天津神に掃討されることなく古代よりこの地にあるのか
勧請したものとしても何故に大巳貴神だったのか。
早速社殿(写真3参照)に向かう。
社殿の後ろ半分は、半円状の土塁になっている。
円墳を削平整地して社殿を建立したように見えなくもない。
この場所を戦場に見立てたとき、三方が崖地で要害の地である。
川東大巳貴神社の場所:<href="https://mapfan.com/map?c=32.8573845472943,130.69072484842493,16&s=std,pc,ja">(マップファン地図)
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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