木山神宮
2023/4/13(木) 晴
今日は最高気温25°晴の天気は自転車走行には暑いが、明日午後の雨予報に午後14時半からポタリングに出る。黄砂は昨日は立田山が辛うじて見える程度だったが、今日も黄砂は舞ってはいるが阿蘇の山並みまで見える程度になった。
目的地は、熊本地震で倒壊していたが復旧したという益城町指定文化財の「木山神宮の神殿」とする。明日で地震から7年経つ。
明午橋を渡り、健軍自衛隊の東側から旧道と思われる東南方向に通る道を走る。
今から146年前の4月14日、西南戦争で熊本城を包囲する西郷軍は、山川浩率いる政府軍に包囲を破られた。その後保田窪、健軍の戦闘に敗れた西郷軍は木山に敗退する。その敗走する路が、この路だったのか等と思いながら走る。
その道の途中、以前にも訪れたことがある猫伏石(写真1参照)を見る。この石には、「怪力の横手五郎が熊本城築城の礎石用の石を猫伏(筵=むしろ)に包んで運んでいたが、ここで猫伏が破れて落ちた石」という伝説がある。
その道を更に辿ると安永神社(写真2・3参照)の前に出た。別称「安永権現社」通称「ゴンゲンさん」という産土神のようである。
一旦県道28に出て右折して、木山神宮(写真4・5参照)に到着する。
益城町指定文化財一覧表には、「正式名称は「木山宮六宮殿大明神」。御祭神には主神として「天照皇大神」以下6代にわたる神々を祀っている。かつて北朝系木山氏の武士守護神として鎮守され、流鏑馬や神事能が奉納されていた。木山氏の所領拡大とともに収めた末社を益城町内に19社持つ。天正13(1585)年に薩摩島津氏の攻略と寛保2(1742)年の木山町の大火により旧記や文献が焼失し、勧請時期や祭祝が不明である。
平成28年熊本地震で甚大な被害を受けましたが、令和元年~3年で災害復旧を遂げました。平成29年には境内が史跡「木山神宮境内」、令和4年には神殿が「木山神宮神殿」として益城町指定文化財となりました。」とある。
拝殿(写真6参照)は、工事中であった。
神殿(写真7・8・9参照)は、完成している。彫刻が彩色してある。神殿裏に廻って見る。ここにも彩色された彫刻の真ん中に兎が三羽彫られている。左は振り返った兎、真中は正面を向いた兎、右は左方向に駆ける兎と兎の彫刻がある。
Web検索すると、全国の神社に兎の彫刻があるようである。波の兎は縁起ものという説や、大国主と白兎の関係という説等諸説あるようで、ここの神社も相殿ではあるが大己貴神を祀る。神社と兎の関係も調べると面白そうと思う。
車両進入路の石垣の根元に六地蔵の部材(写真10参照)が見える。復旧までには未だ時間がかかりそうに思う。ここを折り返し点として帰途に就く。
18時半に帰宅する。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)17km→木山神宮18km→熊本(自宅)
総所要時間4時間(実3.5時間) 総計35km 走行累計53,514km
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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