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熊本から気ままに山と自転車のブログ

弘化橋(石造眼鏡橋)・猿渡六地蔵

弘化橋(石造眼鏡橋)探訪リベンジポタ
2021/1/05(火) 曇
今日の最高気温10°出発時の気温5°と低めだが、寒さに慣れて来たのか、曇天模様で湿度が高いせいか余り寒さを感じない。目的を弘化橋(石造眼鏡橋)再探訪にして10時前からポタリングに出る。

峠川流域の淀姫神社を後にして、標高差130m程の坂を上り矢護川流域の真木地区に移動し、弘化橋(写真6参照)に到着する。


橋を渡り右岸側から見る弘化橋(写真7参照)


右岸上流側橋詰にある説明板(写真8参照)を見る。「弘化橋
矢護川に架かる単一アーチの眼鏡橋。名称から江戸後期弘化年間(1844~1848)の架橋と推定されます。菊池・旭志方面から矢護川北岸を通り、前原の集落を経由して真木に至る道路が矢護川を渡るために架けられた橋であり、地区の主要な交通に必要なものとして早くから整備されてきたことが伺われる、堅牢な石橋です・・・合志川水系の橋の中では町内唯一残された目鑑の橋、しかも今でも生活に供用されている橋として大変珍しい橋といえます・・・」とある。


上流側護岸から見る(写真9参照)


同じく河床から見る(写真10参照)


下流側護岸から見る(写真11参照)


同じく河床から見る(写真12参照)


石橋内面の右岸側を見る(写真13参照)
石橋両側を、コンクリート橋の橋桁で挟むように架設してある。


石橋内面の左岸側を見る(写真14参照)


13時半に帰途に就く。帰路の途中、猿渡地区まで来た所で六地蔵(写真15参照)を観る。
標柱の説明文「碑文によると、むかしこの地に六地蔵が建っていたが、中古以来なくなっていたのを安永三年(1774)に宇野源兵衛という平川村の庄屋が建てたものである。
たぶんこの地が合志から阿蘇へ通ずる交通の要所であったことが伺われる。」とある。


カメラを覗いていたら、六地蔵の向うに馬(写真16参照)が見えた。


話しかけたら、興味をもってくれたらしく近寄ってきた(写真17参照)
子供時代の馬との思い出と懐かしさが一度に蘇ってきた。


16時過ぎに帰着する。今日は馬に心癒されるいいポタリングになった。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)35km→弘化橋(石造眼鏡橋)34km→熊本(自宅)
所要時間6時間(実5.5時間) 総計69km 走行累計37,686km


弘化橋(石造眼鏡橋)に到着ならず
2021/1/03(日) 晴

今日の最高気温予想9°出発時の気温7°、テレビで箱根駅伝を見ていたが、8区から9区への襷が渡り終えた11時半にポタリングに出る。
今日は気温が10°にならない寒い日だが、明日が月曜日であることを考えれば今日の方が走り易かろうと、目的地を大津町弘化橋(石造眼鏡橋)として出発する。

先ずは、JT熊本工場前の大型ショッピングセンターで食料を調達し、竹迫地区に向かう。
杉水を経由して弘化橋がある真木に向かう予定が、竹迫で一本手前の道を曲がってしまった。早めに気づけば修正も出来るものを、県道341との交差点で県道30を走っていることに気づく。
止むを得ず国道325まで出て左折する。ホンダ熊本工場正面入り口交差点で右折し、後は第六感で走り、平川地区まで来て道をお訊ねする。
教わった通りに進めばいいものを、不安になり途中から広い道を選択し坂道を台地上に上がる。坂道は、若い時のように一気には上れないので休憩を兼ねて昼食とする。

が、ここでタイムリミット。これ以上深追いすると日暮れ後の帰宅になりかねないので、諦めて帰途に就く。
帰路は次回のことを考慮して弘化橋が架る矢護川沿いの道を探して、台地上を北へ進む。と、正面に雪を冠した鞍岳(写真1参照)が見えた。


17時に帰着。距離的には、目的地に到着するに充分な距離を走っていた。正月から難儀なポタリングになったが、今年の戒めにしよう。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)34km→中窪田31km→熊本(自宅)
所要時間5.5時間(実5時間) 総計65km 走行累計37,617km

自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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