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熊本から気ままに山と自転車のブログ

慈恩寺経塚古墳

慈恩寺経塚古墳⑤
2023/5/26(金) 晴/曇

今日は最高気温29°真夏日に近い気温ではあるが薄曇りながら曇が出て来たので、午後14時半からポタリングに出る。目的地は、熊鹿ロード沿いの熊本県指定史跡「慈恩寺経塚古墳」とする。

慈恩寺経塚古墳(写真1参照)は、熊鹿ロード米塚休憩所から西方向へ0.3kmほど台地に上った慈恩寺区公民館の北側にある。


説明板(写真2参照)には、「この古墳は、古代の大動脈の菊池川にそそぐ、合志川の支流の白水川左岸の標高六〇メートル前後の台地上に築造されています。ここからの眺望は素晴らしく、付近一帯をあます所なく見渡すことができ、まさに、古代豪族の奥津城にふさわしい景勝の地にあります。
この古墳は、葺石と埴輪をもつ二段築成の円墳です。現状は直径四四メートルほどですが、発掘調査の結果、直径五三メートルで周溝外周まで含めると六〇メートル、高さ八メートルであることがわかりました。これは調査によって大きさが明らかになった円墳の中では、熊本県内最大規模を誇っています。
調査では他にも、いろいろなことがわかりました。大きさや古墳の形がはっきりしただけでなく、しっかりとした葺石が残存しており、勾玉、壺形や家形の埴輪、眉庇付冑や革綴短甲などの鉄製品、土器などの遺物が出土し、西暦五世紀前半(今から約一五〇〇年前)に築造された古墳であることが判明しました。
現在、墳頂にある舟形石棺は、元は約ニメートル下に据え置かれており、本来は屋根形の蓋がありました。調査で出土した蓋の破片には格子状の浮き彫りがあり、山鹿市鹿央町の持松塚原古墳の石棺と類似しています。阿蘇凝灰岩製で、内面は赤く塗られており、大きさは長さ二・三メートル、幅一・六メートルで、大きな縄掛突起が四つあります。
灰黒色の石棺は、浅い皿状に敷設された白色粘土層の中央に置かれ、周囲には赤色顔料が撒かれ、割れた土器もありました。埋葬するにあたって、厳粛な儀式が執り行われたのでしょう。
この古墳はあとに続く高熊古墳横山古墳石川山二号墳塚園一号墳の前方後円墳の先駆けであり、山鹿市岩原古墳群、合志市黒松古墳群などとともに、菊池川流域を代表する古墳の一つです。」とある。


墳頂の景観(写真3参照)、墳形は奇麗な円形をしている。舟形石棺が見える。


舟形石棺(写真4・5・6参照)。石棺の船べり部分が大きく欠けているのは、盗掘されたとき破壊されたと推測する。反対側は船べりの形がはっきり残っている。ここを折り返し点として帰途に就く。


18時半に帰宅する。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)21km→慈恩寺経塚古墳20km→熊本(自宅)
総所要時間4時間(実3.5時間) 総計41km 走行累計54,503km


慈恩寺経塚古墳④
2018/10/27(土) 晴

熊野初取神社に御堂が新しく建立されている。慈恩寺経塚古墳裾にあった御堂がそれであったのか?現在古墳裾(写真1参照)に御堂はない。


慈恩寺経塚古墳の石棺(写真2・3参照)は、塚頂に露出してある。
時計廻に一周する。舷側を現した掘り込み見られる。
短辺側に二つの縄かけ突起×2か所ある。片側の舷側は船縁を模したのか、打ち欠いてある。
凝灰岩製なので風化が気になるが、このまま風化するに任せておくのか?文化財保護管理者の見解をしりたいところである。



慈恩寺経塚古墳③
2016/8/2(火) 晴

今日の最高気温予報は35度。気象庁観測値は14時34.4度、16時34.2度。相変わらず暑い。今日は午後の夕立はなさそうだから、3時半過ぎから3時間の予定でポタリングに出る。
熊鹿ロードを北へ走る。植木北中学校辺りで時間を確認する17時。切りの良いところで引き返したいと思い、慈恩寺経塚古墳を訪れることにする。熊鹿ロード米塚休憩所から左折して、西側の丘陵を目指す。休憩所から100m程の道路正面に「熊野初取神社」がある。

先に進み右折したところに慈恩寺経塚公民館(写真3参照)がある。


目的の慈恩寺経塚古墳(写真4参照)は、公民館の北側にある。訪れたのは3度目となるので、写真も重複するが再掲したい。


解説板によると、5世紀前半の築造でこの地域の先駆けとなる古墳で、直径60m高さ8mの県下最大級の円墳とある。墳頂に登ると石棺がある(写真5参照)。解説板にあるように眺望が良い。


堂々とした舟形石棺(写真6参照)で、船べりの形も、縄掛け突起もしっかり残っている。1600年の昔に石ノミ1本で彫り出したであろうことを考えると敬服の至りである。暫し眺望を楽しみ帰途に就く。


今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)19km→慈恩寺経塚古墳19km→熊本(自宅)所要時間3時間(実3時間)総計38km 走行累計17,717km


慈恩寺経塚古墳②
2015/12/16(水) 曇

一週間ぶりのポタリング。天候は曇、最高気温は12度予報の寒空。目的地は熊本市植木町慈恩寺と菊陽町今石横穴古墳。時間が許せば二軒小屋古墳まで行く予定。
熊鹿ロードを北進し、秋鯰から旧国道3へ上り、国道3植木町豊田から県道53を米塚方向へ。台地上の慈恩寺経塚古墳へ移動する。
慈恩寺経塚古墳(写真3参照)は、2014.11.23にUPしているが再掲したいと思う。塚は紅葉した桜の落ち葉で薄化粧しているように見えた。
前回は、ここ(写真左側の石柱の横)にあった阿弥陀堂が神社境内に移築されたようだ。阿弥陀信仰は、北インドで盛んであった。経典は、西暦148年179年には漢訳されている(Wikipedia)とある。
阿弥陀信仰をもって大陸から移住してきた一族が、古墳文化と融合し古墳を造営したとすれば、被葬者を浄土の世界にお導き頂きますように阿弥陀仏を祀った可能性もある。慈恩寺の一部としての建立であれば、大慈恩寺(三蔵法師玄奘ゆかりの寺)が念頭にあってのことであろうから、7世紀以降の建立と思われる。
解説板には、築造は5世紀前半、高熊古墳、横山古墳、石川山2号墳、塚園1号墳の前方後円墳の先駆けの古墳という。


南側に廻って見る。やや窪みが見られる。石棺を堀出た跡か。塚頂に石棺が見える。
西側に廻って見る。丸い曲線の塚頂が美しい。
塚頂に上る。舟形石棺(写真5参照)がある。船べり部分が一部欠けている。
その向こうの里には集落が見える。古墳から見る風景は、この様な塚から里が、里から塚が見えるパターンが多い。
反対側に廻って見る。こちら側は綺麗な形が残っている。露出した状態で発見されたので、現状維持の発想でそのままにしてあると思うが、
雨ざらし日晒しでは劣化が早い。できれば上屋でもかけてもらえたら、被葬者の方も喜んでもらえると思うが・・・。


塚頂北側には菊鹿盆地の広がりが見える(写真6参照)。



慈恩寺経塚古墳①
2014/11/13(木) 曇

今日も4時間限定のポタリングに出る。主目的地は、熊本市北区植木町「慈恩寺経塚古墳」今日は北風が強いが、熊鹿ロード北へ走る。
国道3を地下道で潜り、植木北中学校手前県道53左側丘の中腹の加茂別雷神社裏手にある加茂横穴群を観る。シラス土壌の崖面に複数存在する。
次に訪れたのは、「慈恩寺経塚古墳」(写真1参照)大きな古墳である。


塚頂には、阿蘇溶結凝灰岩で造った石棺(写真2参照)が露出して置いてある。劣化が心配だが・・・。慈恩寺経塚古墳の場所:(マップファン地図)


古墳を後にして、道の駅「夢大地館」まで走り昼食とする。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)25km2h→道の駅「夢大地館」31km2h→熊本(自宅)
所要時間4.5時間(実4時間) 総計56km 走行累計8,568km

自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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