2023/10/31(火)晴
最高気温24°晴天の秋日和に、午前9時半過ぎからポタリングに出る。
ブログ「くまもと自転車紀行」の「のぶ」さんの「人名のつく橋めぐり」の頁を見て、追体験を思い立ち、目的地を「江津斉藤橋」「木倉太郎兵衛橋」「太郎兵衛橋」「次郎兵衛橋」とする。
時計回り方向の周回を選択し、先ずは江津斉藤橋(写真1・2・3・4参照)に到着する。
上江津湖が加勢川となるくびれ部に、国道3東バイパスの一部として架かる。
ウィキペディアには、「地主で画図村村長だった斉藤清房が私財を投じて建築した。1929年(昭和4年)6月16日に渡り初めが行われている。当時は木の橋だった。」とある。
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斉藤橋を後にして、途中、門前川眼鏡橋に立ち寄る。門前川眼鏡橋から日向往還を少し東進して、国道443左折すると「木倉(きのくら)太郎兵衛橋」(写真7・8・9・10参照)に到着する。
恐竜化石の町だけあって、橋の親柱にも、高欄にも恐竜があしらわれている。
木倉太郎兵衛惟豪(通称・太郎右衛門)は、江戸初期の寛永・天和の頃、およそ四十四年間にわたり木倉郷の惣庄屋として水利事業に尽力した。 木倉、御船、滝尾の各村に合計九ヶ所の用水井手を掘り、中でも五里のおよぶ元禄井手は大変な難工事であった。(参照:キロクマ!より)
この橋は、太郎兵衛がここに橋を架けたのか、前記の功績を顕彰して橋の名前にしたのかは分からない。
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御船町を後にして、宇土市を流れる浜戸川に架かる太郎兵衛橋(写真11・12・13参照)に移動する。道は下り基調だから楽勝と思っていたが、これが大誤算で、向かい風でペダルが重い。自宅約20km→御船約20km→走潟約20kmの周回路だが、反時計回りが正解だったか。帰宅してから標高差を調べると15m/20kmほどでほぼ平坦路だった。
宇土市歴史年表の中の「浜戸川の渡し」の項に、「太郎兵衛渡し跡は旧緑川(浜戸川)の下流にあり、民営の渡し船し舟が1艘ありました。この渡しがいつ頃からあるのかはわかりませんが、天保6~11年(1835~40)のものと推定される絵図には太郎兵衛渡しの名称がみられます。」とある。物資輸送の変遷で、廃止された渡しの名称がこの橋につけられたのではないかと推理する。
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太郎兵衛橋を後にして、次郎兵衛橋(写真14・15参照)に移動する。橋を渡った左方向に粟島神社がある。次郎兵衛橋の名称は、太郎兵衛橋の下流に架橋されたことに由来するようである。ここを折り返し点として帰途に就く。
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16時前に帰宅する。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)44km→次郎兵衛21km→熊本(自宅)
総所要時間6時間(実5時間) 総計65km 走行累計57,021km(このページが1006頁目となる)