2016/5/17(火) 晴
約一週間ぶりにポタリングに出る。
午前11時半出発。今日の風は、心地よい。
川尻町までは国道3裏通りを進み、川尻町から宇城市松橋町までは国道3を南下する。松橋町の宇城四季彩館で弁当を買い、昼食とする。
更に南下し、小川町から右折してJR線路を横断してからは、JR線路を睨みながら、目的地の有佐貝塚大塚古墳を目指す。
有佐駅周辺を3周程探索するが見つからず、鉄道横断の高架橋から眺めて見た。
出発前に見た地図の記憶では、鉄道線路は直線だったので駅南方面を探索すると、線路西側にあった。
記憶の像が180度逆さまだった。
自宅から南側という方向感と地図表記を混同して記憶したらしい。
加齢に寄る能力の低下か。用心、用心!
「有佐貝塚」の白い説明板(写真1参照)が目に留まる。
これには、八代市教育委員会の文化財に対する姿勢が表示されている。
説明板(写真2参照)を、一読して墓域に入る。
墓地内は、白い貝殻で埋め尽くされている(写真3参照)。
ここは八代平野のど真ん中。縄文中期から後期の貝塚と言う。縄文海進からの陸地化が早かったということか?
大王山古墳群にも近い位置にある。その関係性はあるのか?
貝種が特定できる程に明瞭な貝殻(写真4参照)もある。
墓石も貝殻の中(写真5参照)に埋もれている。
この貝塚を造った人々はどこへ行ったのか?
貝殻は生活排出ゴミだから遠くから捨てに来ることはないと思うので、どれ位の規模の集落でどれ位の年月の結果か?知りたいところである。
文化財を試掘した跡(写真6参照)か?貝殻で盛ってある。
墓地北側が微高地なっており、この微高地全体を前方後円墳と見ているのか?
微高地東側風景(写真7参照)。
微高地西側風景(写真8参照)。
西側微高地から微高地全体の風景(写真9参照)。
写真9の左側樹木の下に、教育委員会が調査掘削(写真10参照)した跡を鎖で囲ってある。
調査は、平成28年2月8日から3月17日まで行われたとあり(写真11参照)、真新しい調査現場だ。
調査講の写真(写真12参照)も掲示してある。
圧倒されるような貝塚の規模と量に感嘆しながら古墳を後にして、国道3、国道266経由で帰途に就く。
有佐貝塚大塚古墳の場所:(マップファン地図)
帰路途中の城南町で、甚九郎山古墳を探索するが案内標識は見えるが古墳までは辿り着けなかった。
国道266の嘉島町辺りの田園は、麦秋の風景。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)40km→有佐貝塚大塚古墳45km→熊本(自宅)
所要時間7.5時間(実6時間) 総計85km 走行累計16,858km
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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