熊本から気ままに山と自転車のブログ

宇土市船場橋

宇土市船場橋
2021/2/19(金) 晴

今日の最高気温は11°、出発時の気温9°今朝までは寒かったが晴天の暖かい日になり、12時半から目的地を南方向としてポタリングに出る。

往路は国道3を南進する。宇土駅前交差点で時間を確認したところ、14時15分。
往路の許容時間を後30分程として、目的地を宇土市街の船場橋(写真1参照)とする。


陶板製の説明盤(写真2参照)には、「船場橋は長さ13.7m、幅4.1mの石造単一アーチ橋で、輪石35個を使った熊本式の石橋です。壁石は安山岩、高欄はピンク色の馬門石を使っています。
この高欄親柱は表面がかなり風化していますが、船場橋の文字も刻まれています。
路面は三和土で、現在は養生のために三和土層の上に馬門石敷を行っています。
元禄期の古図には、船場上流にある五丁目橋と並んで描かれて描かれていますが、この頃はまで土橋であったと思われます。
現在の石橋になったのは安永9年(1780)といわれていますが、石工はわかっていません。
当時は五丁目橋も石橋で、ともに眼鏡橋と呼ばれていました。
しかし、五丁目橋は、馬車の通行に不便ということで木橋になり、その後現在のコンクリート製になりました。」とある。


橋の袂に馬門石製の「轟泉水道井戸」(写真3参照)がある。


説明盤(写真4参照)には、「・・・井戸は轟泉水道の末端にあたります。2代宇土細川家藩主、細川行孝によって江戸時代前期に完成された水道は、轟水源から宇土城下町を抜け、船場川へ至る約3.0kmという大規模なものでした。・・・当時、船場は交通の中心として栄え、ここから出港する船は上納米などの物資とともにこの井戸の水を積み込みました。・・・」とある。


元禄期古図(写真5参照)。写真は下部が切れている。


今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)20km→宇土市船場橋23km→熊本(自宅)
所要時間3.5時間(実3.5時間) 総計43km 走行累計38,642km


宇土市船場橋
2015/3/9(月) 晴

午前中雨だったので、水溜り等があることを前提にMTバイクで午後2時から出かける。
方向は、北風が強いので南へ。
日本稲荷五社の一つ髙橋稲荷神社(写真1参照)前を通り、八城橋を渡り南進する。
緑川堤防に出て平木橋、太郎兵衛橋を渡り宇土市船場へ。

船場界隈(写真1・2参照)は荷上場の石段等が残る。


馬門石の轟泉水道の井戸や眼鏡橋(写真3参照)に、昔日の賑わいを想像する。
井戸水は船に積み込んだと説明板にある。
河湊の風情に新築の建物も合わせて整備してあり、落ち着いた雰囲気を醸し出している。



宇土市船場橋
2014/10/14(火) 晴

ロードバイク走行2回目は、宇土半島一周。
チェックポイントは、平木橋→道の駅「不知火」→三角港→道の駅「宇土マリーナ」→平木橋(完)の予定。
「アクアドームくまもと」横を南下し、新村橋から堤防沿いに西進し平木橋へ向かう。
平木橋上で時間を確認する。自宅からここまで1時間。
宇土市街中心部へ向かう。
「船場橋」の標識を見て立ち寄ることにする。
わらべ歌「あんたがたどこさ」の「船場橋」は、ここ「宇土船場橋」と「熊本洗馬橋」と言う二つの説がある。
私が思うには「・・・さ」という詞の使い方は、熊本にはない。
「・・・さ」は、東京詞で「熊本出身者を、あるいは東京からの来熊者を揶揄して歌われたのではないか?」と思う。
熊本には、肥後手毬と云う民芸品があり、この手毬遊びをする時歌ったであろうと想像される。いずれにしても、「船場」は全国にあるから、二拍子のリズムに合う歌詞であれば何処であってもいいのではないかと思う。
船場橋(写真1参照)に到着。馬門石(ピンク色石)で造られた風情ある景観に感じ入る。
ここは、宇土藩のご用米の集積積み出し場だったとこと。


傍には馬門石で造られた井戸(写真2参照)もある。


説明板(写真3参照)によると、この井戸は日本最古の現役水道施設だとある。


自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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