2021/2/16(火) 晴
今日の最高気温は11°、出発時の気温9°、晴天に誘われ12時半から吉次峠を目的地に、短めのポタリングに出る。
県道31を木留から農免道路へ左折して、吉次峠に向かう。上古閑地区の日吉神社(写真1参照)に立ち寄る。
拝殿(写真2参照)に一礼して、境内を見る。
石灯籠の上に猿(写真3参照)が座る。
由緒書(写真4参照)に「この神社は、比叡山延暦寺の守護神で延暦寺の末寺であった円台寺に1521年(大永元年)に祠られていたものを1871年(明治四年)9月5日にここ上古閑に勧請したものである。
境内にある石灯籠の上に猿がのっていますが、山王権現の使いが猿で、庚申信仰(猿田彦)に結び付けたものと思われる。」とある。
農免道路から左側に「山県有朋歌碑」の案内標識があったと記憶していたので、左折して蜜柑畑のなかの坂道を上がるが、辿り着けずに吉次峠旧道に出る。
峠も近い位置から平野部(写真5参照)を見る。写真左側中央部が植木町市街地、右側中央部は、ビニールハウスが並ぶスイカ畑、足元の緑は蜜柑畑。
吉次峠(写真6参照)に到着した。
予定では原倉方向に下り菱形方向に廻るつもりでいたが、山県有朋歌碑に辿り着いていないのでここから旧道方向に下り歌碑探訪に再挑戦することにする。
旧道下り方向右側にバーベキュー場があるが、そこから左折して坂道を下る。
程なく右側に大きな自然石が二基(写真7参照)ある。
手前の石が、西南戦蹟顕彰会建立の碑(写真8参照)
奥の石が、山県有朋歌碑(写真9参照)である。が、この時点では何の碑であるかわかっていない。
東側が正面で、田原坂・吉次峠に於ける戦争の状況と経緯が書かれ、昭和17年4月に西南戦蹟顕彰会が建立(写真10参照)した旨陰刻されている。
全文メモろうかとも思ったが、Web上で検索できるのではないかと省略した。
こちらが歌碑(写真11参照)のようである。
墨書の筆跡(写真12参照)を陰刻してあるが、「木留山」以降は私には読めない。
帰宅して調べた結果、山形有朋歌碑「木留山 しらむ砦の 捨てかがりけふると見しは 桜なりけり」(植木・玉東戦跡ガイドブックより)
蜜柑畑の急坂を登り、汗をかいた。現在時刻14時半、時間に余裕をもって帰途に就く。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)24km→吉次峠→熊本(自宅)
所要時間3時間(実2.5時間) 総計24km 走行累計38,599km
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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