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熊本から気ままに山と自転車のブログ

大堀木逆修碑・石井樋表示石柱

大堀木逆修碑・石井樋表示石柱
2022/9/13(火) 晴/曇

今日の最高気温33°晴、湿度70~60%の予報に、暑さは覚悟で午前11時過ぎからポタリングに出る。
目的地は、菊陽町未指定文化財の「大堀木逆修碑」と「石井樋表示石柱」とする。

ルートは、明午橋を渡り、白川左岸堤防道路から供合線を東進し、未来大橋で菊陽町台地に上る。そこから国道57を東進し菊陽町役場を目指す。
大堀木逆修碑(写真1参照)は、町役場西側の駐車場の隅にある。
菊陽町ホームページには、「この逆修碑は、安山岩を三角形にしたもので町民グランドの東南の一角に建っていますが、かつては畑の中の塚上に建っていました。昭和40年頃までは、上位に3つの円、その下に雲形の線、さらにその下に上下二段の14行の罫区を刻んでいるのが確認できましたが、現在はその罫区さえも確認できないほど摩滅しています。この逆修碑と同形式のものが、菊池市泗水町に2基あり、どちらも大永(1521~1528)のものであることから、この碑も同年代のものと推定されます。」とある。


逆修碑を後にして、古閑原の石井樋表示石柱に移動する。
石井樋表示石柱の1本目(写真2・3参照)は、国道325の西側、上井手川を渡る古閑原橋の際にある。道路記念碑の右脇にある。正面に「第七十二號」、その下に「幅・髙」、右側に「大正十一」とある。


ここの上井手川の堰からは、3つの取水口(写真4参照)とそこから流れる3本の井手がある。


川沿いを下って古閑原眼鏡橋の少し下流に、堰と取水口(写真5参照)がある。


石井樋表示石柱の2本目(写真6参照)は、上井手川の土手にある。
正面に「第七十三號」、その下に「幅一尺三寸・髙一尺四寸五分」、右側に「大正十一年」とある。
菊陽町ホームページには、「大津町から菊陽町の原水にかけて広がる水田地域は、大津原とよばれた荒野同然の地でした。それが、今日に見る水稲栽培の美田に変わったのは、瀬田上井手の開削による恩恵です。そして、その井手沿いには、石井樋(取水量調整機能装置)が設けられました。その上井手の水は、潅漑面積に按分して算出し、水量により取入口の断面積に応じた、寸法(高さ・幅)を決め、これに従い方形の石井樋を作り埋め込んでありました。現在はこの石井樋は姿を消し、その真上に建ててあった石柱もほとんど残っていませんが、当時の農業水利の知識と困難性を物語っています。」とある。


16時過ぎに帰宅する。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)24km→石井樋表示石柱22km →熊本(自宅)
所要時間5時間(実4時間) 総計46km 走行累計50,891km

自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

コメント一覧

asotakadakedake1592
Re:のぶさんへ コメント有難うございます。
大津町の上井手川は、滔々と流れているのに、須屋の堀川はチョロチョロという感じで、その差が熊本市の地下水涵養に役立っているのか、と私も思っています。
先日の「古閑原眼鏡橋」探訪は、実は「石井樋表示石柱」探訪でしたが発見に至りませんでした。菊陽町の「文化財パンフレット」位置図を信用すれば、古閑原橋傍の取水口近辺しかないと再探訪しました。結果、道路記念碑脇に「第七十二號」の石柱を見て、上流から72番目の表示であろうと推測し、下流側の「第七十三號」の完全な石柱を見つけました。
上流側・下流側と捜索範囲を広げれば、面白い結果がでるかもしれませんね、のぶさんの結果を期待致します。自転車くま
のぶ
熊本市の江津湖周辺での湧水が豊富なのは、大津から菊陽にかけての白川中流域の水田からの地下水の恩恵によるところが大きいと聞いています。
そういう意味からも「石井樋表示石柱」というのは非常に興味深いですね。何かの機会にわたしもその石柱を見に行きたいと思います。
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