第八代横綱不知火諾右衛門の墓
2023/9/13(水)晴/曇
今日は最高気温予報32°午前中は晴たり曇ったりの天候で午後は雨模様の予報に、目的地を午前中に帰宅出来る距離の宇土市として午前7時半からポタリングに出る。
大相撲秋場所も始まり熊本発信のブログとしては、宇土市を故郷とする正代関の応援も込め、栗崎町の第八代横綱不知火諾右衛門の墓地を訪れる。
「永田イネ」さんの墓を後にして、川尻町「日和見山」「六間堰」(写真2・3参照)を通り、加勢川沿いに西進し平木橋を渡る。
西岡神社前(写真4参照)を通り、左折して変則五差路を斜め左(写真5参照)へ行く。
この交差点を右折すれば「古代ハス園」へ行く。
次の「不知火諾右衛門の墓」の標識を見て右折する。400m程坂道を上ると左側に六本の垂れ幕(写真6参照)が見える。川副(改め輝鵬関)の名も見える。
「不知火諾右衛門の墓」(写真7・8・9参照)は、宇土市指定史跡にもなっている。
正面に戒名、左側面に俗名、右側面に将軍・徳川家慶から賜ったと伝わる和歌が刻まれている。
説明板には、「不知火諾右衛門(本名:近久信次)は、享和元年(1801)に宇土郡栗崎村(現栗崎町)で生まれました。幼少期から地元の宮相撲で活躍するなど、力持ちで知られていました。
文政六年(1823)に大坂相撲の湊由良右衛門に入門。文政一三年には松江藩松平家のお抱え力士となって江戸相撲に挑戦し、天保八年(1837)の新入幕を機に四股名を濃錦(のきの)里諾右衛門と改めて、天保一〇年には、当時の幕内最高位だった大関に昇進します。この活躍により熊本藩のお抱え力士となりましたが、関脇に降格後、再び大関に返り咲きました。この時に四股名を不知火諾右衛門に改名しました。天保一一年には吉田司家から横綱免許を授けられ、第八代横綱になりました。
天保一四年に江戸城内で開催された第一二代将軍・徳川家慶の上覧相撲では、結びの一番で東大関の劔山谷右衛門を破り、勝った不知火には将軍から弓が授けられ、土俵上で豪快な弓取りを披露したと伝えられます。
この時の土俵入りでは、熊本出身の黒雲(露払い)と高根山(太刀持ち)を従えて、両腕を大きく左右に開いてせり上がる型を披露したと伝えられ、これが現在の「不知火型」と呼ばれている横綱土俵入りの型のひとつで、不知火諾右衛門がその創始者といわれています。
天保一五年に引退し、その後は大坂に戻り、年寄・湊を襲名して大坂相撲の再興と門弟力士の育成に尽力しました。嘉永七年(1854)に大坂で亡くなり、この地に分骨されました。享年五四歳。
現役時代の身長は一七六㎝、体重は一三五㎏。
墓石の側面には、上覧相撲の祭、将軍・徳川家慶から賜ったと伝わる和歌が刻まれています。
よこ綱の しめし力や 勝(まさり)けむ 西の最手(ほて)こそ弓ハ取けれ」とある。
第十一代横綱不知火光右衛門の墓は大津町下町にある。ここを最後として帰途に就く。
12時に帰宅する。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)27km→熊本駅前24km→熊本(自宅)
総所要時間4.5時間(実4時間) 総計51km 走行累計56,034km
第八代横綱不知火諾右衛門の墓
2014/9/5(金) 晴/曇
天候は晴れたり曇ったり、湿度は高い。走行予定距離は40・50km。
自宅を11時出発。
北風だったので南をめざすが、3.5km地点で長距離走行不能の自転車整備不良を発見。
一旦帰宅して、昼食と整備の後13時半再出発。
久しぶりに髙橋稲荷神社の門前を通る。
髙橋稲荷神社は、九州三稲荷、日本五大稲荷の一つとされる。
更に南下し、白川の八城橋を渡り、緑川の平木橋を渡る。
平木橋を渡ったところで、旧流路に沿って走ってみることにする。
緑川は、江戸時代末に現在の流路に変更されるまでは、平木橋上流側で大きく宇土市側に蛇行していた。
従って走潟村(現在の宇土市走潟町)は飽田郡の内であった。
なにか史跡的なものはないかと思い探す。
旧流路を緑川本流から分離した堤防の際に河尻神宮の分社がある。
轟水源を今日の折り返し点としようと思い、宇土市街地中心部、宇土高校横を通る。
西岡神社を過ぎた所に「轟水源」の標識と並んで、「不知火諾右衛門墓」標識があったので、行ってみることにする。
不知火諾右衛門の墓(写真1参照)は、宇土市栗崎町の丘を少し登ったところにあった。
墓石は、弓形の自然石を前傾させて立ててある。
私には、力士が脇を締めて立ち上がった瞬間のような力強さと迫力を感じさせる形に見えた。
石工さんの芸術的感性と工夫か、それとも自然変形か。
説明板(写真2参照)によると、
不知火型土俵入りの創始者で、寛政13年(1801)ここ宇土市栗崎町に生まれ、天保11年(1840)に横綱の免許を受けるに至った。
引退後も大阪相撲の頭取として後進の育成に尽力したが、嘉永7年(1854)54歳で一生を終えたとある。
帰路は国道3を北上し、馬門石の井樋橋を観る。